9.17 「生態系の保全とリスク評価の理論と実際」での議論

【皆様】
 公開シンポジウムはおかげさまで大盛況だったと思います。4時間という長時間のプログラムを組んでしまったにもかかわらず、120名【】ほどの参加者がいて、最後の総合討論まで80名以上の人が参加していました。ありがとうございました。【】
 この場を借りて、私自身の意見を述べさせていただきます。(長文ごめん)

  1. 生物多様性よりも生態系サービスのほうが重要性を訴えやすいか?
  2. 将来予測をひとつだけ示すよりは、リスクのほうがわかり易い
  3. リスクという言い方が価値観を伴うもので、可能性でよいのでは?
  4. 植物レッドリストの計算の際の前提は単純すぎないか?
  5. 個々の絶滅危惧種を守れというより、群集組成の変化などのリスクを
  6. エンドポイントは科学者が決めるべきか

1)生物多様性よりも生態系サービスのほうが重要性を訴えやすいという議論があったと思いますが、必ずしも私はそうは思いません。いま、RSBS(サステナビリティの科学的基礎に関する調査プロジェクト)の人々とも議論していることを紹介します。以下のサイトに出したものです。
 生物多様性のほうが、事実として示すことはより明確だと思います。しかし、それが失われて何が困るかはより不明確です。それに対して、生態系機能が大切なことはより明確でしょうが、どう評価し、どう保護するかを示すことは難しいでしょう。
 (8月14日生態学者も、そのどちらに力点を置くか、重心が定まっていないともいえるでしょう。私自身は、生物多様性保全の方がより明確だと思います。これは多くは生態系機能に関係し、しかも、歴史的建造物や古典芸術と同じ意味があります。目先の機能だけでよいという考え方そのものが反省の対象であると主張するほうが有効だと思っています。
 (7月21日)長い歴史を持つ生物多様性を維持することは、人と自然の持続可能な関係を累々と維持してきたことの証拠である。それは生活とともに、あるいは災害とともに損なわれ、変わっていく。けれども、その中でも残る固有性がある。それを維持し、使い続けることが重要だ。オペラ座も、利用せずに保存するだけでなく、伝統ある施設を使いながら維持することが重要だと思う。自然保護も同じことだろう。
2)将来予測をひとつだけ示すと、必ず外れます。不確実性を考慮して区間予測をすべきですが、たとえばエゾシカが半減しないリスクを確率で示すほうが、2年後に33%になるという予測より正直です。漁業などでは、未来が不確実であることは漁業者もよく知っているのだから、リスクのほうが慣れればなじみやすいでしょう。○○さんが紹介した資源評価の資源回復確率は、今後も普及していくと期待しています。
3)リスクという言い方が価値観を伴うもので、可能性や確率のほうが客観的でよいのではないかという意見を個人的にいただきました。保全生態学が応用科学だとすれば、価値観や人間活動に資するという目的があります。たとえば○○さんも言及されましたが、水産学で「資源」というのは対象魚種のことです。この言い方は価値観に基づいていますが、だから非科学的とはいえません。価値観を排除するのでなく、ある価値観(自然保護)を前提とした科学なのです。その価値観自身の是非はその科学では問いません。
4)植物レッドリストの計算の際に私の前提が乱暴なのは、将来予測としては過大評価だろうけれども、絶滅の逼迫の度合いを客観的に比較する上ではよいかもしれないと○○さんが「助け舟」を出していただきました。明らかに過大評価になるような仮定を置いているわけですが、これはリスク評価ではよくあることです。減少率に密度効果や地域依存性を考慮すべきという意見は尤もですが、そのためには、その強さを推定しなくてはいけません。その推定が困難なときには無視することになります。これは統計学で言うオッカムの剃刀だと思います。ですから、補正する方法があるのにあえてしないという立場では、私の場合はありません。しかし、既存のデータベースからでも、やり方は考えられます。全種の個体数規模別減少率のデータから、密度依存性の「標準形」を推定してみて、補正することを考えて見ます。もともと報告区域数の少ない植物の減少率分布は、全植物の減少率分布を事前分布としてベイズ的に補正して使っています。これ(密度依存性、系統依存性、地域依存性)がどこまでできるかは、やってみてから考えてみたいと思います。これはM1の○○君にやっていただいています。
5)個々の絶滅危惧種を守れというより、群集組成の変化などのリスクを考えるべきだと○○さんが指摘されていました。河川の重金属汚染について、M2の○○君に、まさにその研究をしていただいています(来週陸水学会で発表します)。今の環境基準では、コイやフナを守る個体群リスクだけでなく、そのえさも守ることが生態系リスクと考えられています。それはよいのですが、個体群リスクはPVAなどでなく、個体リスク(死亡率や繁殖率、成長阻害など)で評価され、生態系リスクは、餌生物のうち最も感受性の高いヒラタカゲロウの個体リスクで評価されています。結果として水道水より厳しい基準になるような変な事態が起きています。重金属濃度の高い川と低い川で底生動物の種組成がどう変わるかを調べてもらっています。そこからどんな環境基準を作るかという肝心な部分がまだですが。
6)【】エンドポイントも科学者が決めるべきだというご意見でしたが、もう一度リスクマネジメント手続き基本形のをよく見てください。
 評価基準(評価エンドポイント)を整理するのは科学者ですが、常に利害関係者の合意を経てから次の段階(管理計画作り)に進むべきだというのがわれわれの主張です。往々にして、利害関係者は結論を決めてから理屈を作るもの。結論の食い違う者同士では合意は困難です。しかし、抽象的な理念では合意できることが多く、合意を積み重ねて、より具体的な手続きを科学者が提案し、さらに合意を深めていくという手順を踏むことが大切です。
 科学者のほうが正しい、あるいは実行性の高いエンドポイントを定められるかといえば、必ずしもそうとはいえないと思います。パンダとクジラを守れというほうが、微生物も同じように守れというよりたしかに受けています。科学者としては別のことを言うでしょうが、市民受けをまったく無視しては、やはり力にならないと私は思います。
 以上、ご批判もあるかと存じますが、ご意見歓迎します(このメールの実名を除いた要約版を公開書簡で公表しますが、返信を無断で匿名にせずに載せることはありません)

今後ともよろしくお願いします。