中西準子さんが松井三郎さんを反訴

 中西さんが松井三郎さんに訴えられていた件については、今までにもいくつか書きました(2005.11.62005.11.42005.5.8、同じく5.82005-04-11)。そのいずれも、おもに原告松井さんの側のプレスリリースにあった第2の訴状理由を問題にしてきました。肝心の名誉毀損問題については、松井さんの名誉を毀損したとされる中西さんのウェブサイトが既に削除されており、その発端となった環境省主催の「第7回内分泌攪乱化学物質問題に関する国際シンポジウム」の現場を知らず、原告側の主張だけに基づいて意見を述べていたので、何も答えようがなかったからです。
 しかし、中西さんの最近のサイトを見ると、その全貌を中西さんなりに解明した上で、反訴していることを知りました。この反論は、説得力のあるものです。特に、松井さんが用いたスライドまで証拠として提出されています。松永和紀さんの指摘(松永和紀のアグリ話●環境リスク管理学・中西準子氏裁判の真実に迫るのその1(11.2)およびその2(11.9))もわかりやすいです。その1では名誉毀損に該当しないことが説明され、

中西氏が9月末、違法提訴として反訴し、裁判所に決定的な証拠を提出したことで、事態はがらりと変わったと思う。ところが、多くの人は裁判の経過を知らない。そこで、今週と来週の2回にわたって、この裁判を「情報伝達のゆがみ」という点から考える。

と述べています。
 その2では原告側の意図が、私も問題にしたプレスリリースの訴状理由2にあり、

プレスリリースでもう一つ注目すべきは、後段の「提訴に至った理由」である。中西氏は、環境ホルモン問題は終わったと考えている/しかし、それは誤りであり見過ごせない/だから、松井氏は貴重な研究時間を割いて提訴に踏み切った----などと書いてある。驚くべき論法である。これがまかり通るなら、研究者も科学ライターも科学的批判など全くできなくなる。なぜならば、「提訴された」という事実は社会的な制裁にもつながるものだからだ。例えば、一介のライターである私が批判記事を書き、立派な肩書きがある研究者から提訴されたとしたら。裁判の中味いかんに関わらず、出版社は面倒なライターを敬遠し仕事の発注は停まり、社会的に葬り去られるのではないか。
 尊敬する中西氏と同じことがもし私にも起きたら、と考えるなど、おこがましいにも程がある。「君は影響力がないから提訴されないよ」と笑われそうだ。中西氏は影響力があるからこそ提訴され、プレスリリースされた。マスメディアは深く取材することなく報道し、中西氏は「見せしめ」にされた。

と論じています。中西さんも、以前、ある企業ともめたときに、「もし、これが裁判になっていたら、最終判決を待たず(最終的には裁判で勝ったとしても)、私の研究室はつぶれていたと思う」と述懐しています(雑感301-2005.4.28名誉毀損事件(近況)」)。常にこのような逆風に晒されながら、中西さんは活動していることになります。
 もう一度、毎日新聞出版文化賞の中西さんに対する米本昌平さんの選評を引用します。これとぴったり符合することがわかります。

<環境リスク学>孤独に耐え研究 専門越え解決策
・・・冒頭の退官講演で、若き著者の主張が学界から締め出され、研究費も得られない時代から、霞が関官僚が著者のリスク論を評価し、政策立案の本流に採用されるまでが、一気に語られて迫力がある。
 その根底に、素人が抱く不安に共鳴するやさしさがある一方で、研究者は孤独に耐えなくてはならないこと、自分の専門など軽々と越えてしまわないと解決策には接近できないことへの覚悟がある。結果的に、日本のアカデミズムの欠陥をあぶり出す、著者の生き方がここにある。