貝割れ大根事件

Date: Sun, 16 Apr 2006 08:29:22 +0900
○○様
 判決文まで全部目を通すという中西さんの姿勢には脱帽です。以前、判決文を呼んだのは、アマミノクロウサギ裁判の原告から意見書を求められたときだけです(読んだ資料は原告側の一部資料だけ)。http://risk.kan.ynu.ac.jp/matsuda/2001/amami.html
 このときの判決文は原告側が紙の文書をOCRで読み込んだもので、誤変換もありました。
 貝割れ大根予防原則については,もうすぐ出る(去年出した本の第2作です)本で下記のように紹介しました【=以下、原稿】。ご自愛ください。
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 池田正行氏は、「ゼロリスクを求めるあまり、その行動が大きな社会問題を起こすことに気づこうとしない心理」の問題点を指摘している。ゼロリスクを求めることが大きな社会問題を起こした例は多々ある。一九九六年には、病原性大腸菌で被害がでた際、貝割れ大根がリスク源として報道され、業者が致命的な打撃を受けるという風評被害が生じた。このとき、当時の菅直人厚生相は、専門家の報告では疫学的推定の限界を注意していたにもかかわらず、リスク源の推定結果を公表した。このように、原因を錯誤推定した場合には、放置するより悪い結果をもたらすことがある。これはリスクコミュニケーションの過ちというよりは、管理上の誤りといえるだろう。確実性に欠ける報道で特定の業者に甚大な被害を与えた。二〇〇四年に最高裁による上告棄却で貝割れ大根業者が勝訴、国側に責任があることが確定した。裁判では疑わしきは罰せずという基準があるが、この基準は予防原則と正反対である。
 疑わしきは罰せずというのは、むしろ通常の科学的判断に近いものである。我々科学者は、ある実験結果や新奇の現象を発見したとき、それが偶然生じたものかどうかを統計学的に吟味する。通常、そのような吟味なしではその学術論文は受理されない。この偶然の産物とみなす仮説を、統計学では「帰無仮説」という。しかし、偶然性を絶対に否定できることまでは求めていない。観察された事象が帰無仮説によって偶然起きる確率が五パーセント未満であれば、それは統計学的に有意であり、新たな仮説の根拠とすることが認められている。たとえば、日本と韓国が野球の試合をしたとき、韓国が三連勝したとする。韓国の実力が上であると言えるだろうか。【以下略】