鯨は健康食品か、食文化か

Date: Fri, 4 Aug 2006 23:12:33 +0900
○○様、 ××様、 皆様

また、新しい動きとして、現代の栄養学の視点から魚や鯨が日本人のからだによい、という方向があります。

 ○○さん、それはよかったです。今までやらなかった水研が怠慢です。しかし、それと【日本政府の鯨食文化論を批判する】○○さんの主張は別だと私は思います。文化を前面に出すことは、国内向け、今までの支持者向けの活動ではあっても、支持を広げる効果があるとは、私は思いません。

先週、釧路に行きました。阿寒(昨年、釧路市に合併)のあたりでは、鹿食を熱心に進めているそうです。

 はい。これも○○さんの努力です。鹿は増えすぎて困っていますが、我々は今から乱獲の心配をしているほどです。
××さん、下記、ありがとうございます。

二匹目のドジョウ「世界遺産の鹿を喰う」はぜひ実現してください。楽しみです。ぜひ鯨とエゾシカを食べながら議論させていただきたいです。

 鯨=食文化論は、私の周りではすこぶる評判が悪いです。私はいつも欧米人に 「小学校の学校給食で、鯨肉と米軍支給の食パンと脱し粉乳で私は育った」といっています。 その私は鯨肉を食文化だと思っていますが、鯨肉をほとんど食べたことがない若者から見れば、それこそ文化の押し付けに聞こえるようです。 着物も着ないようなおっさんが、なぜ鯨肉を伝統文化というのか、それで自分たちにまで捕鯨文化を守れと押し付けるのはやめてほしい という批判は、決して理不尽だとは思いません(○○さんは着付けもなさるかもしれませんが) 魚食に比べれば、鯨食が不可欠と考える人はずっと少ないと思います。

鯨を食べる文化と、鯨を殺されたくないという価値観は、どうやっても正面衝突するものです。なぜなら食べるためには必ず殺さなければならないからです。反捕鯨側は鯨を食べないことを押しつけている、しかし、我々(日本)は、鯨を食べることを押しつけていない。(だから、相手側の方がひどい)

 これは、私はその通り(反捕鯨のほうがひどい)と思います。 しかし、食文化論を誰に向かっていっているかといえば、私は国内向けだと思います。 国際的には、持続可能性を訴えればよい。食文化はまだいいと思うけど、 鯨害獣論は完全に国内向けです。(反捕鯨国人に言っても、本当に競合するなら漁業が鯨に遠慮しろというだけでしょう)
 犬を食べるのは野蛮だと批判するのと同じで、自分が食べないことと、他国の文化を否定することは別です。それこそ野蛮(または先進国の傲慢)です。 

太地や道東などの伝統捕鯨を否定する人は、ごく一部の過激な人たち以外にいないと思います。クジラを殺されたくないという価値観の持ち主の大部分ですら、全面否定はしないでしょう。

 これはその通りだと思います。だから南氷洋捕鯨をあきらめろという××さんの見解には賛成しかねますが、分けて考えて、南半球は粘り強く議論し、沿岸捕鯨の再開を優先したほうが良い。それは十分可能だと思います。 政府にはその努力を怠っているように見えるところもあります。 

日本に深く根付いていた魚食文化が急速に劣化している

 これがよくわからない。劣化とは何ですか?マグロ礼賛のことですか?露骨に言えば、欧米並みの飽食文化になったことですか? 私は、日本のほうが飽食だとは到底思いません。日本のほうがまだ、ものを大切にしていると思います。
 日本の文化の中で捕鯨が特別だとは思いません。鯨が特別なのは以下の3点だと思います。これはたいへん重要なことだと、私は思います。

  1. 順応的管理による合意形成の最大の実践材料である
  2. 日本が米国に真っ向から反対するほとんど唯一の国際交渉である
  3. 日本のほうが正しいきわめて稀有な問題である

その調査捕鯨を拡大している限り、クジラを殺されたくないという価値観の人が折り合いをつけようという気になることはないのではないでしょうか。

 遠慮すれば良いという問題ではありません。より根本的な問題です。【】調査捕鯨と、沿岸捕鯨は分けて考えるべきです。この問題は、妥協すればよいというものではない。モラトリアムの常態化が、それを実証しています。外堀(モラトリアム)だけなら埋めてよいなどというのは、信頼できない相手とする交渉ではありません。 しかし、より広い世論に訴えるべきです。反捕鯨団体だけが欧米人ではありません。
 RMPというきわめて保守的な捕獲枠で科学委員会が合意したのに、管理計画を合意するまでという約束のモラトリアムを常態化する反捕鯨国の態度は、信頼関係を損なうものです。捕鯨では彼らはうまくやったと思うでしょうが、信頼を損なう行為は、他に大きく影響するでしょう。その最大の証拠が、日本国内では全く反捕鯨団体は正当性を主張できないということです。