予防原則の説明無責任

Date: Mon, 4 Sep 2006 10:54:22 +0900
○○さん 
先日、ある人々と飲んだのですが、そのときに「予防原則でいったんとめたもので、後になって大丈夫だとわかって規制を撤廃するものがあってもよい。むしろ、ないほうがおかしいのではないか」と私が言いました。
 たとえば、環境省RDBの絶滅危惧植物で、過去10年間に絶滅したものはほとんどないらしい。CR種が500近くあり、CRとは10年間で50%の絶滅とミレニアム生態系評価などでは見なされている(これも本当は誤解)。250種絶滅してもよいものが、【ほとんど】ないとはいくらなんでも明らかにおかしい。 科学的根拠が不確実な間は網をかけるにしても、よくわかってきたら規制を外すことは当然であると私は思います。
 この議論で、相手はダイオキシンが念頭に浮かんだらしく「あれをいまさら大丈夫だと(政府が)いうのは難しいだろう」という発言でした。 それでは説明責任が果たせないと私が突っ込むと、 小型焼却炉 を規制したから、おそらく裁判になる。裁判で負けると賠償問題だろうということ。(だから公式に撤回しないというのを、説明責任が果たせないというのだと私は思います。【もっとも、当時の知見として妥当であれば、たとえ現在の知見で否定されたことでも、賠償責任は生じないと私は思います】)
 これでは、予防原則はうまく根付かないでしょうね。一度規制をかけて、後で大丈夫とわかっても規制を外せないなら、十分な根拠なしに規制されてはたまらない。 捕鯨のモラトリアムと同じです。本来は科学委員会が新たな管理計画を作るまで棚上げという話だったのに、それを科学委員会が合意して10年以上、モラトリアムを続けている。【これは、他のモラトリアム提案に対しても、確実に悪い先例として作用するでしょう。予防原則を適用しないほうが正義になりますから。】