卒業式

 今日は小学生の息子の卒業式である。そのため、生態学会大会を途中で切り上げてしまった。アグロエコロジー研究会の皆様にはご迷惑をおかけした。
 思えば、私自身は小学校から博士まで6回あったはずだが、学部卒業まで、一度として平穏に済んだことがなかった。小学生のときには、直前に校長が急逝してしまった。一番ませた同級生が、こういうときは教育委員会から代理が来るといっていたが、教頭から卒業証書をいただいた。校長は理科の先生で、一度だけ授業をしていただき、私のことを憶えていただいていただけに、呆然とした。私の両親が立ち会った卒業式は、この小学校の卒業式だけである。
 中学校の卒業式は紛争で全学ストライキ中で、式そのものがなかった。
 高校の卒業式は私が京都大学の入試の間に行われ、欠席した。
 京都大学の卒業式は、写真週刊誌やニュース番組で何度も報道された、「ニセ総代事件」がおきた。私は理学部で、動物学科の友人が総代を務めたが、総長に呼ばれたときに脇からジョギング姿のニセ総代(留年した本物の卒業生だったらしい)が現れて卒業証書を総長からもらい、植物学科出身の理学部長と握手をして壇上から降りてしまった。ちょうど、女子留学生が他学部の総代となり、事前に報道陣が詰め掛けていたので、この様子はすべて録画され、連日報道された。わが本物の総代は壇上から降りようとしたニセ総代からとっさに証書を奪還し、総長に返納して改めて授与された。ニセ総代は姿をくらませたので、取材は本物の総代に殺到した。後日私は彼に言った。後からこうすればもっとよかったと悔いることは簡単だが、晴れの日に全く予期せぬ事態の中で、証書を奪い返してやり直したのはきわめて上出来であり、一生誇りに思えるだろうと。
 大学院の卒業式は、修士課程は専攻長から証書をいただく簡単なものであり、博士課程は初めて平穏に過ぎた。ずっと後に、ある後輩から、自分の博士課程卒業式に両親が来たいといっているがどうしたものかと相談を受けた。君は恥ずかしいかもしれないが、親孝行なのだから好きなようにさせればよいと助言した。そういえばおととい、生態学会の若手の学会賞受賞講演の際にも、受賞者の両親が聞きに来ていた。

 今日の卒業式は整然と行われている。時代は変わり、校長が各生徒に証書を手渡す様子がビデオにとられ、生でスクリーンに映し出されている。私の子供時代にはない緊張の材料だが、今の子供は平気なようだ。保護者席では母親のすすり泣きがあちこちから聞こえ、目頭を押さえる父親もいる。やはり、卒業式はよいものである。自分の子がきちんと返事するか、一挙手一投足を粗相なく終えるかを見守る。国家、校歌斉唱、校長挨拶、来賓挨拶、父母会挨拶、卒業生挨拶、卒業の歌?、卒業生の仰げば尊し、在校生の蛍の光斉唱と続く。保護者は退場の際に拍手をするだけで、出番がない。ほかの学校より挨拶も斉唱も多いかもしれない。校長が最初に「6年間それなりにがんばった人も」おめでとうなどと言ったのは、たぶん冗談だと思うが、ほとんど誰も笑わず、不発だったようである。私も講演などで冗談が不発に終わると気まずい。そのため、古典落語のように、受ける冗談は何度でも使う。時々「新作」の冗談を試すが、受ける確率は半分以下かもしれない。去年は一度、「今日の聴衆は笑ってくれずにやりにくい」といって笑わせたことがある。これはできれば使いたくないネタだ。
 付属小学校では、進学できなかった子が何人かいる。その子たちも一堂に会して式を迎える。この現実は子供にも親にも酷いものだ。
 小学校の卒業式では、何度か予行演習した記憶がある。最近はそんなことはしないが、場数をこなすことで慣れてきているし、頭の中で一度くらいは事前に簡単な「予行練習」をする。大人になった自分が儀式の際に失礼のないようにまともにこなしているかといえば、もう一挙手一投足までは気にしない。卒業式のような晴れの舞台を何度かこなして、人は人生の節目を経験する。やはり、中学と高校の卒業式がなかったのは痛かったのかもしれない。幸い、今は毎年卒業式に立ち会う権利をもつ職業についている。結婚式の披露宴では長い祝辞を述べる立場も何度かある。乾杯の音頭やその前の挨拶を述べる機会も重ねる。一昨日の学会功労賞受賞者の長老の挨拶はたいへん上手だった。やはり、場慣れが必要だ。
 学生のレポートを読むと、大変参考になる、上手な褒め方、批判の仕方に出会うことがある。その方法を職業として学生から学ぶことができる教員という職業は幸せである。齢を重ねた必然とはいえ、このような晴れの日に立ち会える機会に恵まれていることは、幸せなことだと思う。
 証書を受け取る姿と声から、それぞれの子供たちの未来と運勢を読み取ることができるようになりたいものだ。担任の教師なら、それは可能だろう。