東京五輪で試される日本の水産業
松田裕之(横浜国立大学)
かつてのシロナガスクジラ、タイマイに始まり、クロマグロ、ニホンウナギ、マナマコなど、日本人が消費している水産資源の多くが絶滅危惧種に指定され、「魚が消える」などという報道まで流れています。水産業はお先真っ暗のように見えるかもしれません。
そもそも、日本と欧米では漁業制度が違います。国連海洋法条約では、沿岸国は自国の排他的経済水域(約200海里)の資源を排他的に利用できる代わりに、漁獲可能量を定めて持続可能に利用する責務を負っています。日本ではサンマなど7魚種でこれを毎年定めています。けれども、総量規制だけでは、早い者勝ちになり、小型魚まで見つけ次第とってしまうことになりがちです。欧米の多くの国は、個別漁獲割当量(IQ)制度などで、それを防いでいます。日本は共同漁業権(国際的にはTerritorial User Rights of Fisheries TURFsに相当する)による、漁協の自主性を尊重した管理に委ねられています。そもそも、TACを導入したときにも、TACは日本の漁業権制度になじまないという意見が聞かれました。チリやペルーでは、沿岸数マイルを零細漁業の占有操業海域とし、沖合いの大型船にはIQを課すなど、1990年代になってからTURFsとIQ制度の両者を生かした制度を作っています。日本も、昨年の「資源管理のあり方検討会」の議論を踏まえて、IQ制度の試験的導入が行われています。
さて、日本の漁業の現状に話を戻します。上記のような「高級魚」が乱獲によって激減したことはたしかです。けれども、大西洋マダラなど、かつて乱獲により減った魚も、欧米では適切に管理され、回復しつつある資源もあります。大西洋クロマグロも、2010年にはワシントン条約で禁輸措置が採られそうになりましたが、2014年には資源回復の兆しが見え、漁獲量が増枠されました。日本の漁業は今なお世界の環境団体の批判の的です。多くの欧米諸国がとっくに諦めた捕鯨にこだわり続け、ウナギやクロマグロのように減り続けてもなお食べ続けている魚種があります。
2010年名古屋で開催された生物多様性条約締約国会議の場は、そのような環境団体の批判の的になりかけました。しかし、結果としては、日本の持続可能な取り組みが理解されたと思います。それには3つの研究成果が役立ちました。1つは海洋研究開発機構などの共同研究で、日本のEEZ内の海洋生物多様性が世界一豊かであることが示されました。第2に知床世界自然遺産登録の際に漁協が自主的に禁漁区を拡大した逸話がユネスコを通じて世界中に紹介されました。第3に日本にはこのような漁協が定めた自主的禁漁区を含めて海岸保護区が1000以上あることが国際雑誌で紹介されました。漁民が海を持続可能に維持しているという意味での里海という言葉が、世界にも知られるようになりました。
世界の関心ある水産物の消費者は、持続可能な漁業による水産物を好み、乱獲された水産物を避けたいと思っているようです。モントレー水族館ではSeafood Watchという、持続可能な漁業による水産物かどうかを峻別するリストを作っています。水産会社自身も、持続可能な漁業に付与されるMSCなどのエコラベル認証を得ています。自主管理によって資源回復に成功した京都のズワイガニ漁業も、アジアで初めてMSC認証を取得しました。日本でもMSC認証の水産物を積極的に売る大型店もあります。しかし、日本の消費者は必ずしもエコラベルのついた水産物を選んではいません。ある世界的ファーストフード店がMSC認証の水産物を使っていることを知る日本人はわずかでしょう。MSC認証には数年ごとに高額な登録料が必要です。京都のズワイガニは、MSC認証を取り下げてしまいました。北陸のズワイガニには輸入品と区別する独自のタグがついています。そちらは登録料もかからないし、消費者にも知られているでしょう。日本の多くの新聞は、ウナギが絶滅危惧種になっても、食べるのを控えることを訴えるより、食べ続けられるかを心配しています。捕鯨問題でも、世界中の水産物を絶滅するまで食べ続ける日本人という批判が聞こえてきます。
そこに新たな問題が起きました。2020年東京五輪の水産物問題です。1992年ロンドン五輪でも、環境に配慮することが求められるようになりました。96年リオ五輪では、全水産物をMSC認証にすると宣言しています。東京五輪で、何もしない訳にはいかない雲行きです。けれども、日本にMSC認証をとった水産物は、北海道のホタテ漁業、京都底引き網カレイ漁業など、数えるほどしかありません。大間のクロマグロはもちろん、ほとんどの国産水産物はMSC認証をとっていません。リオ五輪と同じことはとてもできないでしょう。
東京五輪で、リオ五輪と同じことをする必要はないかもしれません。けれども、これからの五輪では、開催国がどのように環境問題に取り組んでいるかを示すことが必要です。MSC認証に頼らないなら、何に頼るかをしっかり世界に説明する必要があります。それは水産庁の役割かもしれませんが、残念ながら、その動きは見えません。考えてみれば、2010年名古屋でも、日本の漁民の取り組みを世界に説明したのは水産庁ではありません。知床世界遺産の管理計画の策定者には、林野庁はあっても水産庁はありません。漁民独自の取り組みだからという理由です。
他方、寿司をはじめとする魚食は、世界中に広まり続けています。先日パリに出かけたときも、割高の寿司レストランがたくさんあって、どこも繁盛していることにびっくりしました。日本人の最大の死因は癌ですが、米国人のそれは心疾患です。肉食より不飽和脂肪酸の多い魚を食べるほうが健康に良いという認識は、世界中に広がりつつあります。
実は、アクアマリンふくしまでも、Happy Oceanという、資源状態の良い国内水産物のリストを作っていて、その取り組みをモントレー水族館に紹介したそうです。政府が動かないと、東京五輪の水産物問題は大変なことになると思いますが、まずは、この取り組みに期待します。水族館の中に寿司屋があるという発想にも興味があります。寿司屋さんにとっても東京五輪は深刻な問題でしょう。そして、消費者という視点だけでなく、水族館を訪れる市民や子供の視点でも、東京五輪問題を考えていただきたいと思います。