生物多様性の意義を巡る議論

Date: Sat, 30 Jul 2005 08:02:09 +0200
チューリッヒより松田です。【】
聞き取り項目ですが、【】「大量絶滅」の速度は自然が失われていることの一つの大域的な指標としては使われますが、それ自身が目的ではありません。また、理想はともかく、実際に絶滅率の数値目標が合意できるような政治的情勢にはありません。したがって、現状認識を聞くのはともかく、どの程度に絶滅率を下げればよいかと聞かれても、私は答えに困ります。
 地球温暖化で、二酸化炭素排出量の京都議定書の目標は政治的な妥協であり、温暖化防止が目的だとすれば、あれで十分とは誰も思っていないはずです。現実目標は合意できるかどうかで変わり、絶滅率について現在は合意できる政治的状況にない。
 生態系サービスが経済価値で計れることを前提にした質問だと思います。それならば、その様に限定しないと「金では計れない」という回答もありえます。それが間違いとはいえません。市場に乗らない価値をどこまで経済評価に持ち込むかは、経済学者でも答え方が違うでしょう。となると、問題を明確に切り出してから出ないと、質問として漠然としていると思います。
また、生態系サービスが定量的な評価方法ということを前提にしているようですが、私にはぴんと来ません。
環境経済学でも【生態系サービスだけでなく】生物多様性は扱えると思います。生物多様性自身にオプション価値を指摘する人、生物多様性を守ること自身が評価基準になり、その数値目標が費用対効果の対象となることも現実にあります(岡敏弘さん「環境政策論」)。現状認識を尋ねるならば、生物多様性の質問は重要だと思います。 

Date: Sun, 31 Jul 2005 18:23:32 +0900
皆様【】
 ○○研の評価委員会の情報を聞いていますが、生態系については、物理、化学関係者からは生物多様性保全の意義が不明確だと常に指摘され、生物部門は常に縮小の危機に瀕しているようです。
 生物多様性のほうが、事実として示すことはより明確だと思います。しかし、それが失われて何が困るかはより不明確です。それに対して、生態系機能が大切なことはより明確でしょうが、どう評価し、どう保護するかを示すことは難しいでしょう。
 生態学者も、そのどちらに力点を置くか、重心が定まっていないともいえるでしょう。私自身は、生物多様性保全の方がより明確だと思います。これは多くは生態系機能に関係し、しかも、歴史的建造物や古典芸術と同じ意味があります。目先の機能だけでよいという考え方そのものが反省の対象であると主張するほうが有効だと思っています。
 生態系機能の保全と再生については、生態学会委員会で下記をまとめました。「日本生態学会生態系管理専門委員会(2005)自然再生事業指針保全生態学研究 10: 63-75」この2-5節【をごらんください。】このような文書をまとめるということは、生態学者も皆どうかかわるか、悩んでいるということともいえるでしょう。

Date: Thu, 4 Aug 2005 23:04:26 +0900
皆さん
【】法隆寺を保存する歴史的意義がどこにあるのかを論じるのと同じように、地域の生物多様性を維持する意義は私にはわかりやすいです。それが何の役に立つのかを論じるのは、どちらも難しいと思います。 自然と言うのは、壊れるものは壊れるし、それなりに維持すべきものを大切にするのだと思います。全部つぶす、すべて守ると言う極端な思想では、使われ続けている文化遺産と同じように、結局何も守れないように思います。