無住集落を通いで維持するという選択肢:林直樹著『撤退と再興の農村戦略』(2024、学芸出版社)

林直樹,齋藤晋編著『撤退の農村計画』(2010、学芸出版社)の続編だが、前著とはかなり力点が異なる。改めて前著への書評をネット上でいくつか見たが[1][2][3]、意外と好意的な書評が多い。すべての限界集落の維持は非現実的という指摘への反論は書評としては皆無に近かった。限界集落に住み続ける人への配慮欠如、行政への具体的な助言、合理化を進める政府に向いた書籍などの批判に丁寧に応えようとした形跡がうかがえる。

 新著は撤退と再興を並立した選択肢とする趣旨ではなく、「撤退しても再興できる」ことを説く。また、それはあくまで選択肢の一つであり、活性化も含めた様々な限界集落の生き残り策を論じている。特に、定住者のいない無住集落だが「通い」(このキーワードを68頁で提案しているが、126頁以外でほとんど使われていない。移出子や移出者より分かりやすいと思う)で維持された成功事例を論じている点が興味深い。前著の積極的撤退からの主題である自主再建型移転にこだわる著者の本音は題名および撤退して再興を論じる第1章、建設的縮小の第4章からうかがえるが、むしろ無住集落の農村戦略(第2章)、常住困難集落の様々な方策(第3章)が本書の売りと思われる。

定説を疑い、タブーにこだわらない著者の姿勢は健在だ。放棄した集落は自然も荒廃するという公式見解を疑い(37頁)、中山間地の多面的機能(調整サービス)の法外な経済価値を「トリック」(49頁)、農業自給率向上論にも疑問を呈する(50頁)。私にはいずれも若干異論があるが、一理ある。ただし、財政健全化は「焼け石に水」(55頁)で限界集落撤退の理由にはならない点では前著の根拠の一部を修正しているようだ。また、総人口縮小時代を迎えて、限界集落への予算措置が取れない未来への警鐘は変わらない(39頁)。行政サービスは属人(居住人口依存)と属地(面積依存)がある(54頁)という点は明解だ。ただし、査読論文もなく、多変量解析の結果だけで議論しているが、(一般化線形モデルで標準的に行うような)より精緻な議論が欲しいところだ。

 撤退しても30年は再興の可能性が十分あるという分析に異論はないが、30年は短いともいえる。通いによる維持が世代をまたいで可能かが気がかりだ。

 他の分野の重要なキーワードと深く関係するが、その術語との関係をもっと論じてほしい場面がいくつかある。前出の調整サービスもそうだが、土砂流亡の容認(47頁)はダムの人工放流と関連するだろうし、カーボンオフセット(34頁)とクラウドファンディングは別のところで論じても生態系サービスへの支払い(PES)全般は論じていない。直接通ってかかわれない都市住民への期待を否定的に論じているが(129頁)、金銭的支援の意義をここで述べてもよいだろう。

 無住集落再興の条件として歴史的連続性と生活生業技術を上げているが、これら(特に166頁の議論)はIPBES(2022)価値評価報告書[4]でいう関係価値と生物文化多様性に深くかかわるはずだ。生態系サービス論にも言及していないが、さらに最新の概念にかかわるはずの議論が本書にもある。ただし、生活生業技術が無住となっても維持できるとか(113頁)、複数の集落のそれらをまとめて維持する「種火集落」という議論は、その意味では若干注意が必要だ。歴史的連続性はノウハウだけでなく生きて維持しなくては完全ではないし、近隣の集落でも生物文化は少し異なるはずである。

 本書には索引がない。目次が詳しく、出版社サイト[5]にもあるので、文字検索に使えるが、本書で初めて知るような(あるいは本書の造語で、おそらく英語がまだない)キーワードが多数あるにもかかわらず、どこに載っているか読後に反芻しづらい。今からでも、索引をネット上に載せて、文字検索できるようにしていただくとありがたい。

 

[1] 『撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編』(林直樹)の感想(22レビュー) - ブクログ (booklog.jp)

[2] Amazon.co.jp: 撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編 : 林 直樹, 齋藤 晋, 江原 朗: 本

[3] 撤退の農村計画 / 林 直樹/齋藤 晋【編著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア (kinokuniya.co.jp)

[4] IPBES自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書 SPMの概要 (iges.or.jp)

[5] 『撤退と再興の農村戦略 複数の未来を見据えた前向きな縮小』 | 学芸出版社 (gakugei-pub.co.jp)