アオギスについては、魚類学会の意見書は、アオギスを東京湾再生のシンボルとすること自体に反対したのではなく、もっと時間をかけて放流の是非を決めるべきだと主張したと読めるという意見を聞いた。
そうだとすれば、このような半端な意見では、水産庁を変えることも、世の中を動かすこともできないだろう。数年かけたところで、魚類学会が定めた放流のガイドラインを満たす見込みは少ない。それならはっきり反対というべきだ。それは必ずしも間違いではない。しかし、自分で泥をかぶる覚悟がなければ、機を見て決断することはできない。多少科学的におかしなところはあるが、せっかくの機会だし、責任は我々委員が引き取るから、どうぞ放流しなさいと述べたのだが、神奈川の担当者は魚類学会の意見を気にして放流しないことにした。私としては、4月の特別委員会で、機を逸した以上、東京湾再生はアオギス放流にこだわらずやり方を考え直すべきだと述べた。
アオギス放流を審議した特別委員には魚類学会員が2人いた。議事録を見る限り、そのうち一人は、放流に前向きだった。魚類学会は、自らの会員とよく議論をせずに会長名で意見書を出したようである。放流を勧めたアオギスの専門家は、さぞ無念だったことだろう。もし生態学会が同じような意見書を出していたら、私も同じ立場になるところだった。すべての会員が、委員会での自分の挙動を学会に集約しているわけではない。私自身もすべては報告していない。このような場合には、学会のほうが、会員の意見を聞いてみるべきだと、私は思う。
似たようなことは、生態学会でもある。生態学会は西表島リゾートホテル開発問題の意見書を出しているが、この開発事業者から受託した調査報告書を書いた人も、生態学会員だと聞いた。そのような人が会員であることが問題だという意見もあるが、私は、むしろ会員の意見を十分聞き、必要なら学会の場で科学的に議論した上で、意見書を出すべきだと思う。
かつて、福井県中池見で液化天然ガス備蓄基地建設計画があがったとき、やはり生態学会は1996年に意見書を出した。事業者側にも生態学会員がいた。結局、2000年に学会で両者を交えたシンポジウムを開き、互いの主張を公開の場で交換した。それと相前後して、事業者は事業の延期、さらには中止を決めた。順序が逆になったし、事業者側が意見書の主張を認めたわけではないが、やらないよりはよかったと思っている。科学者団体である学会が意見書を出す場合には、まず、多様な会員の意見を聞き、科学的に議論したうえで結論を出すべきだと思う。