「海が壊れる」を信じた?Y日記

2005.11.11付けの矢原徹一さんのY日記には、DIVERSITAS(生物多様性研究ネットワーク)第一回国際会議でJane Lubchencoさんによる基調講演「科学と社会:生物多様性科学の必要性と有効性をめぐる理解の溝」があり、科学者の役割として「知らせること」の重要性が指摘されていた。その例として、「海洋では大きな魚が90%以上捕られてしまったこと」があげられているという。
 これは(1)Myers & Worm(2003)*1の9割減少率などで示されたものだ。他の例としては(2)Jennings*2が99%以上減少したという推定値を出しているし、(3)Roman & Palumbi*3北大西洋の鯨類が激減しているという推定値を出している。(1)は日本のCPUE(延縄漁業100針あたり漁獲率)が9割減少したことを根拠としているが、CPUEと資源量が比例関係に無いことは国際的なマグロ資源専門家の常識である。私は、普段IWCで日本の商標捕鯨可能という主張に執拗に反対している豪州学者まで、上記論文には異議を唱えていることに専門家としての見識を新たにした。そもそも、9割減少させた時代よりも1/10に減った今のほうが漁獲量が多い。本当に9割減っていれば、すぐにマグロはいなくなっていただろう。(2)これはあるマクロ生態学の回帰式から推定したもので、その回帰式自体にも批判があり、かつJenningsがサイズ構造化された魚類群集に適用したことの妥当性を検証した形跡が無い。(3)Roman & Palumbiの論文は過去のクジラの個体数をDNAの多様性から推定し、現在の個体数を目視調査などの点推定値を用いている。前者の推定には意味があるが、後者と直接比較に耐えるものではないし、それから激減したと結論付けることはできない。そもそもザトウクジラは累積捕獲数よりも減少数が多いという。これが妥当ならば、クジラ激減の主犯は乱獲ではないことになるだろう。私はこの比較自身がおかしいと思う。その原因は、DNAによる過去の個体数の推定自身が不確実であるか、現在の推定個体数が過小推定であるか、その両方であろう。
 矢原さんは「知らせること」の重要性を語るが、不正確な情報や誤った情報を伝えることが妥当だとは私は思わない。ビジュアルにわかりやすくというのは大切だが、その真贋は科学者自身が吟味する必要がある。私は「世界の獲る漁業による漁獲量はなお持続可能に増産可能」と主張している世界でも稀有な人間だが、幸い去年の世界水産学会議にサブセッションリーダーとして招待された。有名な1990年頃からの世界の漁獲量の減少は日本のマイワシの減少が原因であり、これは乱獲ではなく、自然変動である。漁獲物の中心が上位捕食者から下位捕食者に移っていることは、資源の有効利用という観点から見て歓迎すべきことであるし、高水準期のイワシを多獲しないのは乱獲防止ではなく、単に需給関係である。世界の漁獲量よりも鯨類の摂食量が多いのだから、海からより多くの魚を取ることは可能である。単一種管理の観点から見れば、それは十分持続可能である。問題はそれが生態系全体の秩序を維持しながらできるかということだ。私は単一種の最大持続生産量理論が生態系の多種共存をなんら保障しないことを理論的に示した*4。だからどこまで漁獲量を増やせるかは、これから考えていくべきことだ。増産不能と判断する根拠は、現時点では何も無い。

*1:Myers R. A. & Worm B. (2003) Rapid worldwide depletion of predatory fish communities. Nature 423: 280-283

*2:Jennings S., & Blanchard, J.L. 2004. Fish abundance with no fishing: predictions based on macroecological theory. Journal of Animal Ecology 73: 632-642=2005.12.8出典訂正。ご指摘いただいたK.M.さんに感謝します

*3:Roman J & Palumbi SR (2003) Whales Before Whaling in the North Atlantic. Science 301:508-510

*4:Matsuda H, Abrams PA (2005) Maximal yields from multi-species fisheries systems: Rules for harvesting top predators and systems with multiple trophic levels. Ecol Appl in press: