生態学会「日本国土の超長期ビジョン−中山間地問題」討論(2)

森林総合研究所関西支所 大住克博(講演者)さんからの返信(19 Mar 2008 00:14:51)を掲載します。

松田様 皆様
シンポではお世話になりました。論点を多く含んだ大きな主題でしたので、うまく整理できず失礼しました。
残念ながら議論の時間が無かったので、松田様のメモをもとに、私の意見の補足をしておきます。なおJeconetには入っていません。あしからず。

流域撤退論について

  • 里山が大切だとしても、お金をかけてすべての里山を維持することは不可能ではないか?実現可能な政策を提案すべきである。」ということには、全く賛成です。
  • しかし、撤退と保全の線引きを流域で行うと言う提案には、違和感を持ちます。機能区分−ゾーニング(流域圏の導入)−選ばれたゾーンの中での機能の強化、管理規模拡大の推進という流れは、我が林業政策や農業政策を思い出させます。
  • 里山というものは、地域社会の活動や構造が生態系に投影されてできる極めて文化的、社会的な存在であったと理解しています。その保全に俯瞰的、機械的な線引きを持ち込むことは、地域社会・文化などと生態系の関係を解体し、里山を死んだものにしてしまいませんか。観念的ですが。
  • また、実施にあたる日本のテクノクラートにも問題ありです。過去のゾーニング(森林林業基本計画など)では、いったん線引きが終わると、その政策理念は予算、事業量に還元され、マニュアル化された公共事業として進行し、ゾーンの中での画一化や不適応を起こしていく。今、森林管理の現場でいっせいに起きていることです。

里山管理と経済性

  • 里山は経済的に自立できる形で維持すべきである。」というご意見にも、基本的に同感です。ビオトープ的なもの里山森林公園的なものでごまかしてもしょうがない(啓蒙・アメニティ施設としてはもちろん有意義ですが)。
  • ただ、自立せよと言い切ってしまうと、ほとんど里山は、現状では放棄にしかならない。酒井さんの引用にあったように、バイオマス利用それだけでは採算が合わないでしょう。またボランティアは大変重要ですが、規模的に限界があるでしょう。
  • 自立か放棄か、公共事業的保全かと言う三者択一の割り切りでは不幸です。
  • バイオマス利用単体では夢物語でも、バイオマス利用、ボランティア、小規模農業などを組み合わせ、そのサイクルをまわしてみる。回してみて総合的に足りない資金・労力はどのくらいか、管理により発生する様々な公益的機能への社会からの支払いとして、どの程度の支援をすれば、工夫をすればシステムが成り立つのか、といった検討をすべきだと思います。
  • 複雑な系である上に、社会や参加者の行動も絡んでくるので、ある程度の規模の流域でセミクローズドシステムとして実証試験を行う。そして、そのデータをもとに得られるであろう多様なサービスの和と総合的負担を議論し、またシステムを改良する、という里山版バイオスフェアに踏み出す必要があるのではないでしょうか。

何をどう保全するのかについて

  • 保全・回復の目標が、議論の中で整理される必要があると思います。「放棄しても、ダムなども撤去すれば自然は長期的には回復するのではないか?」とのご意見ですが、これは保全対象を原生的な生態系とするか、二次的な生態系とするかで変わるでしょう。
  • 原生的な自然を保全する場合 放置すれば、最終的には何らかの安定には行くでしょう。しかし、過去の日本が持っていたような多様性に戻るかどうかは疑問で、科学的根拠の蓄積が必要でしょう。
  • 二次的な自然・里山的自然の場合 これは、シンポで申し上げたように、放置では保全できないと思います。放置でどう推移するかというデータは揃いつつあります。モニタリング試験地も各地ですでに設定されていますし。
  • 放置/撤退の多様性への影響 いずれにせよ、松田様がおっしゃった(どのような生態系で)「どのような「撤退」により何が失われるか、どの程度の「維持労力」でどこまで保全できるかの議論」は、これからの大変大事な宿題だと思います

新たな里山的安定への移行を

  • 一部の特例を除き、伝統的な里山そのものへの回帰は無理でしょう。
  • これからの社会が、ある程度の負担で、ある程度の生態系安定とサービスの享受が期待できる「新」里山を、模索する必要があります。
  • それまでは、移ろい行く「昔の」里山を、できる範囲で延命する。
  • そして、「昔」から「新」里山へ自己形成的に移行できるような、社会的制度的枠組みを整備していく。ここではゾーニングよりも自己形成を重視したい。もちろん、自己形成をより助長する地域を定めると言うゾーニングは賛成です。
  • ただ、以上はすべて観念的な議論で、具体案に達していないところが、お恥ずかしい限りですが。

とりあえず以上です。