研究者は無機的であるべきだ

Date: Sat, 6 Sep 2008 12:47:23 +0900
【研究者は言葉をドラマチックに使ってはいけない。その背景や経緯をはずして、無機的に言葉そのものが意味する内容で使わなければいけないという】ご意見に同感です。
 もちろん、だからといって当事者の思いや悩みを忘れてよいということではありません。以前(1990年頃)、私は医学になぞらえて、 基礎医学臨床医学、町医者 の3つが水産にも必要で、大学 水研 水試 はだいたいそれらに対応するだろうと述べたことがあります。昨年は「科学者はStakeholderであるべきではない」(むしろ弁護士だ)とも述べました。臨床医学の論文に書くことと、【】医者として患者に言うことは違います。上記のご意見は前者に対応すると思います。前者を無機的に語らないと、まとまるものもまとまらなくなるでしょう。我々【科学者】は論文査読を通じて、引いて改めるべきところと固執すべきところをわきまえる訓練ができています。価値観の多様な社会で科学的見解をまとめる上で、これは大切です。行政官も同じ面があるはずだと思います。
 今必要なのは、企業倫理に頼るだけでない、地域の持続可能性を保障した企業参入や改革を保持するための法的整備です。失礼ながら、高木委員会や規制改革会議の議論には、この点が全く欠落しているという印象を持っています。かといって現状維持ではいけない。【】
 私に接触する漁業関係者が偏っているかもしれませんが、やる気のある人の意見は「高木委員会の提案は到底賛成できないが、その指摘の半分以上は正しい」というものです。私は、このような方に答えられる、具体的な提案をする【ことが、我々の】重要な使命と思っています。
 さらに、最近新たに考えたことは、自然保護の場合には、守るべき生物自体は利害関係者になれないし、地元に保護活動の主体がない場合もあります。実態として、どっぷり利害関係者になっている地域常駐型研究者がいます。【私が参加している】JST新採択課題「地域主導型科学者コミュニティの創生」では、そのような在住型科学者のあり方を考えてみるつもりです。