松田研究室の起源

Date: Sun, 4 Apr 2010 16:16:12 +0900
 生態学会大会で重定南奈子さんの学会賞受賞講演でも説明がありましたが、私は京大理学部生物物理寺本英研究室の出身で、寺本さんは湯川秀樹先生の弟子です。私が大学院生時代、重定さんはその助手をしていました。そのうちの一人である関村利朗さんの中部大学に、今年は集中講義に行きます。当時重定さんは40歳前後でしたが、無給のOverDoctorには30歳代後半の人もいました。シュレーディンガー岩波新書「生命とは何か」を書く頃、理論物理学者の多くは生物学に未知の分野の魅力を感じて参入してきました。寺本さんもその一人であり、まず生体高分子の構造の理論(彼の排除体積効果理論はノーベル賞の候補となりました)に始まり、生態系の構造と安定性の議論を進めました。重定さん、山村則男さんなどの学生も、物理から生物物理学に転入しました。寺本さんは最後まで、生態学の次は宗教をやると弟子に触れ回り、我々は戦々恐々としていました。【】
 私の第二の師であるPeter Abramsは、Type 2 Functional Response概念と順応的管理の提唱者であるCrawford Hollingの弟子です。
 秋田さんのおかげで、私とPeter Abramsの関係がさらに進みました。私が進化生態学者であることが忘れ去られようとしていますが、秋田さんのおかげで、新たな地平を築き上げることができると、意を強くしました。
 私が学生時代の寺本研には、今度高科さんが入学する巌佐庸さんがいました。巌佐さんは加藤直人君が得意とするOptimal Control理論を駆使して、生物自身が生活史設計を最適化させると想定した進化生態学という新たな分野を発展させました。
しかし、寺本さんは最後まで巌佐さんの研究を評価せず、「生物はいい加減に生きているものだ」といい続けていました。
 その寺本さんも、突然変異体の侵入可能性を力学的に記述する私の方法は高く評価してくれました。進化生態学を目的論から因果論に昇華させたということです。しかも、Nash解などDynamicsを用いない解がDyanmicsを駆使すると厳密ではないことを我々が明らかにすると、大いに満足しました。これが私がAdaptive Dynamicsを世界に先駆けて始めた動機です。Peter Abramsは当初私の主張を理解しませんでしたが、私のミネソタ留学中に同意し、この困難な学説を原著論文に仕上げてくれま
した。Abrams, 松田, 原田泰志の共著論文は数回続けて却下され、なかなか認められませんでした。Peterはこんなことは初めてだといっていましたが、新たな学説ほど叩かれるという見本です。今では、この論文が、私にとってもPeterにとっても、最も被引用件数の高い論文となっています。
 こうして、Peter AbramsはUlf Dieckmannなどと並ぶAdaptive Dynamicsの先駆者となったわけです。秋田鉄也さんがやっているような、非定常個体群動態における多型の進化(非定常進化動態)の研究は、その中でも最も困難な課題でしょう。