ウィーン紀行 

今回はウィーンで開かれる国際植物学会千葉大の富樫辰也氏の企画したSexual selection and the evolution of anisogamyというセッションに招かれて参加し、途中からダム水源地環境整備センターの欧州視察に合流する、2週間の欧州旅行である。事前にほとんど準備する暇がなく、学会発表のスライドも現地製作(PowerPointが普及して可能になった)という有様だが、はたしてどうなるか。
7月17日 まず、成田からウィーンに向かう。滞在日を1日間違え、18日夜から学会斡旋のホテルに泊まるつもりが17日の便でウィーンに到着するはめになり、16日に急遽ネットで宿を探し、トイレ共用のMinotel Roter Hahn Hotelを予約する。ブラウザにクレジットカード番号を入力するのは気持ちが悪いが、宿を決めずにいくよりましと考えた。40ユーロ(+税)だが、結果的にはたいへん快適な宿だった。場所もわからないが、通りの名前で勘をつけ、歩いていくと、何と市立公園のすぐそばと言う絶好の場所だった。午後6時に到着し、さっそくそれから2時間ほど市内を歩き回った。
 スリッパを忘れたのは失敗。歯ブラシも忘れて、買おうとしたが、西洋の歯ブラシは異様に大きい。二日目に子供用の歯ブラシを買う。丁度いい。【】
7月18日 【】結果的には月曜は閉館が多く、先にウィーンの森とドナウ川遊覧船に乗ればよかった。【】自然史博物館は、やはりロンドンと米国が勝る。けれども建物は立派で、展示品よりそちらに目がいく。歴史と言うのは、やはり重要だ。米国人が羨ましがる歴史と伝統が欧州にはある。独墺は戦争でほとんど破壊されたはずだが、再建された建物も概観は歴史を復元している。オペラ座では玄関付近が戦禍を免れたので、長い伝統を誇示できている。
 自然保護も同じだと思った。内装は時代に合わせて実用的に作り直すが、歴史と伝統は地元の誇りなのだろう。懸命に残そうとするし、失われたら、歴史は1から作り直さないといけない。新たな歴史は100年以上たたないと価値を持たないが、1000年続いた歴史を絶やしたら、その損失は取り返しが付かない。隣国で伝統を維持していたら、復元した歴史は永久に隣国の歴史の長さを超えられないのだから。
 長い歴史を持つ生物多様性を維持することは、人と自然の持続可能な関係を累々と維持してきたことの証拠である。それは生活とともに、あるいは災害とともに損なわれ、変わっていく。けれども、その中でも残る固有性がある。それを維持し、使い続けることが重要だ。オペラ座も、利用せずに保存するだけでなく、伝統ある施設を使いながら維持することが重要だと思う。自然保護も同じことだろう。
 墺はハプスブルク以来の歴史がある。音楽家なども多く輩出している。彼らが使った部屋などをもっと見たかったが、案内が不親切で、月曜は閉館が多く、かつ工事中の施設が多くて少ししか見ることができなかったのは残念だ。
7月19日 【】今朝はすごく涼しい。【】
 小雨の中をウィーンの森に向かう。路面電車とバス(38A)を乗り継げばよいとWebにあったので、その様に向かう。目的地行きのバスは30分に1本だった。詳しい地図があれば麓から上って降りることも可能だが、バスに乗って頂上に行き、歩いて降りることにした。
 一つ驚いたのは、森の中に動物が少ない。鳥もほとんど見かけず(たまにさえずりが聞こえる)、蝶々も見なかった。樹木の脇の石をひっくり返して、ようやく蟻を1匹見つけた。これは後日2人の日本人も言っていた。まさに沈黙の春なのだろうか。
 欧州で気づくのは、自転車と犬の市民権だ。自転車専用道路、専用信号が整備されている。驚いたのはSegwayツアーが企画されているらしい(パンフレットで見たが、現物は見ていない)。1分6cくらいの貸し自転車がある。1日乗るには、高い。森を下るだけなら、30分もかからない。迷った時間に比べて、歩いた時間が短すぎたのは残念。その後バスと地下鉄を乗り継いで遊覧船乗り場に向かう。【】
 ドナウ川は昔市内で蛇行していた跡が残っていて、直線化、新ドナウ川との二重化(荒川と中川のよう)、運河、ウィーン直近での水力発電と、いわゆる開発の限りを尽くしているように見える。川の水は泥の色だろう。この視察の後半で、欧州の河川管理についてはしっかり考えることにしよう。ドナウ川水力発電で堰きとめ、移動には脇の水位調節している水門を利用する。堰の上流と下流をドナウ運河が結んでいる形になる。そのため、遊覧船はドナウ運河を下り、水門を抜けてドナウ川をさかのぼる。ストックホルムの遊覧船も水門を抜けたが、これは無駄な時間にも思える(船長はその間に3時の食事をしていた)。【】
7月20日 昨夜は9時頃寝て、途中一度起きて発表準備をして、今朝は6時起き。ようやく時差に慣れてきた。学会会場のAustriaCenterへはU3とU1を乗り継いで15分くらい。
 異型配偶の進化(The evolution of anisogamy)は基調講演者Geff ParkerらのPBS理論(1972)から始まる。この理論では同型配偶がNash解となり、【少し小さな配偶子は進化せず】、いきなりすごく小さい精子が進化できると言うものだった。私の理論はNash解は進化的安定性の数学的条件ではなく収束安定性が真の解だとし、Nash解と収束安定解が食い違う生物学的実例の代表がこの異型配偶だというもので、Geffeがどう反応するか少し心配だった。Geffeは私とPeterAbramsの1999年の論文を知らず、その後のMichaelBulmer【と】の論文でそれを知っていたらしく、今まで引用せずごめんと何度も誤っていた。【】
 連日情報不足で行き違いが起きるが、今回Paulにルネサンスホテルでの晩餐会に誘われた際、ルネサンスホテルがウィーンに二つあることを知らなかった(多分、彼も知らなかった)。私が明日泊まる、視察団が予約してくれたホテルもルネサンスホテルだ。私は同じところだと思ったが、ホテルの場所を正確に知らなかったので、大会会場の受付で聞いてみた。受付は不親切で教えてくれなかったが、居合わせた別の参加者が手持ちの資料から教えてくれた。すると、全く違う場所を教えられ、急いで大会案内WebsiteからHotel一覧を見てみた。確かに別のルネサンスプラザホテルだけが書いてある。果たしてPaulはどちらのルネサンスホテルにいるのか。おそらく、二つあることを知っていたら事前に説明するだろうし、学会斡旋のホテルだろうと思い、私が泊まるホテルとは別のRennweg駅前のホテルに向かった。正解だった。もし、明日のホテルの正確な地図を入手していたら、迷わずそっちに行ってしまっただろう。世の中、何が幸いするかわからない。