御用学者問題

Date: Sun, 30 Jul 2006 13:32:17 +0900 (JST)
 【政府や環境団体の見解に】是々非々で対処するといっても、いろいろ限度があります。 私が一番困ったのは2002年のIWC科学委員会の後、総会で日本が沿岸捕鯨を認めないなら生存捕鯨も認めないという対抗措置を打ち出したときでした。
 それはないだろうと内部では意見しましたが、それを公言するのはかなりためらってしまいました。その意味では、日本政府推薦という立場は、それだけ不自由といえるでしょう。
あのときは、鬼頭秀一さんの意見朝日新聞が没にしたと聞いて、それを論評無しで私のサイトに載せるという手を思いつき、実行させていただきました。その1週間後に福田元官房長官が生存捕鯨を認める修正発言をしました。官房長官発言の後で何を言っても評論家に過ぎず、私は信用を損なったでしょう。何か意思表示の機会を慎重にうかがってはいましたが、あんなに早く翻されるとは予想外でした。
 しかし、米国代表団の科学者ならばこのような自国政府方針への異論を平気で公然と述べる人がいます。彼らに比べれば、私はまだ毅然としていません。しかし、これまた米国代表団の科学者の例で言えば、【政府意見に異論を述べたからといって】辞任する必要はありません。【】
 【政府にとって使いやすい学者と使いづらい学者があるのは厳然としてあるという意見に対して】当然です。しかし、日本政府が煙たがろうと、一枚岩(どの頭も同じことを言う)よりは、科学者は多様な言葉、多様な意見を持つほうが全体として【海外や後世の人々に】信頼されると思います。
 【自然科学者と比べて、人文社会学の学者は、こうした問題に対してとても対応が難しいという意見に対して、】それもわかります。少なくとも、私は自然科学的な部分で自分の見識を曲げなければよいのですから。自然科学的真実というのは、ある程度、政治を超えて普遍的に成り立つものです。だからこそ、理性化された認識の共有という意味で、科学者は合意形成に重要な役割を果たすと思っています。【】
 【政府系のプロジェクトに参加していて私はこのまま駄目になってしまうのではないかと心配したことがあると聞いて】愛知万博のときは私も同様でした。そんな半端なことをしていると政府にも環境団体にも嫌われるぞと忠告されたこともあります。万博問題に追われていると、研究業績が全く上がらぬ状態が続き、いったい自分は何をしているのかと思いました。
 それでも、愛知万博の計画が全面的に変更になったことで、少し自信を取り戻しました。【】おかげで研究もできるようになりました。
 【現時点では、ある環境問題は、取り上げれば取り上げるほど、議論のすり替えに使われていくという構造を持っているという意見に対して、】それはどうですかね。専門家が国際的に意思疎通して、見識を示すことが重要です。逆に言えば、自分の専門に対して歪曲された世論ができたときに、だから引くというのは、余り感心しません。
 生態系管理とか、鯨害獣論もまさにそうです。北米の海洋生態学者の一部は、逆の結果を出そうとしていますが、これはほとんど同じ土俵。最初は複雑だから単純にはいえない(これが正解)と反論していたのはどうなったのか。【】おそらく、この論争をすれば半分以上の確率で、鯨を部分的には獲ったほうが良いとされる場面がぼろぼろ出てくるでしょう。 あるいは、おなじような生態系モデルを用いて、公然と自分の都合のよい解がでたときだけ採用することになるでしょう。