捕鯨論争 商業捕鯨を再開しても、鯨肉の需要はすでにないという指摘に対して

Date: Mon, 7 Aug 2006 10:50:28 +0900
○○様、皆様
事実調査、ありがとうございました。裏づけは採っていませんが、【ご指摘いただいた】これらは事実なのでしょう。 事実に基づいて*1 議論するというのは当然のことです。

  1. 調査捕鯨が望ましい姿だと思っている人は政府にもいません。
  2. あれは捕鯨再開まで続けるという位置づけです。
  3. これは彼らも繰り返し言っています。
  4. 一年でも早く再開したい。

【上記の私の主張に対して2と3は公式コメントを額面通りに受け取る限りそのとおりという返答に対し】
 はい。事実認識が一致しました。 ちなみに、「一年でも早く再開したい」というのは私の見解で、政府見解とは限りませんね。 言葉足らずごめんなさい。

 反捕鯨団体の言うことは、鯨産業の絶滅を願っているということであり、それを成果として捉え、衰退しているから、もう復活しないだろうといっているということです。
 似たようなことは開発行為にもあります。 自分の事業予定地から希少種の自生地が自然にいなくなるのを待つというものです。少なくとも、愛知万博ではオオタカの古巣を無視していました。
 戦術としては理解できますが、余り褒められたものとは、私は思いません。
 幸いにも、まだ沿岸捕鯨の担い手も絶滅してはいません。 南氷洋捕鯨は、率直に言って、まだ時間があります。需要の維持が問題ですが、あの技術はいつでも復活できるでしょう。再開する際に米国などに先を越されなければの話ですが。
 【時間スケールが問題です。鯨肉の】需要などは10年単位で変わりえます。


Date: Fri, 4 Aug 2006 19:10:04 +0900

3月生態学会でのシンポジウム「JX4 モデルとデータのギャップを埋める:生態学における理論研究と実証研究の連係 企画責任者:吉田丈人(コーネル大学)」のコメントを日本生態学会誌から求められたので以下の原稿を書きました【要旨】。
理論と実証の活発なフィードバック−その担い手と気構えについての私見
 たいへん魅力的なシンポジウムタイトルである。企画責任者の吉田さんの一連の研究は、文字通りその手本であった。まさに自ら理論を立て、自らデータを取って検証した。
 しかし、それだけが研究の最適解ではない。典型的な反例は佐竹暁子さんの一連の研究だと思う。彼女は、吉田さんのように一人で理論と実証を行ったものではないし、特定の相方がいたわけでもない。しかし、彼女が提案した理論研究を検証する野外研究が海外に現れ、さらにそれを受けて理論研究を進め、さらにその検証が進められるという意味で、まさに世界をまたぐ研究が展開された。
 理論とその検証という場合、このシンポジウムでは二つの立場が混在していたように思う。理論にも、新たな視点を展開する概念モデルと、定量的な観測値を説明する計算機実験モデルがある。もちろん、どちらにもそれぞれの価値があるが、その果たすべき役割はかなり趣が違うと思う。それらを、理論と実証のギャップについて同じように論じる必要はないだろう。
 概念モデルは、必ずしも定量的に現象を予言するものではないし、そのような検証に耐えるかといえば、耐えないものも多い。今までの理解を超えた新たな理論を提唱することに価値がある。自戒をこめて言えば、理論家は自分の理論がどのようにして検証されえるかを指摘する責任がある。それを自分でやるかどうかは別にして、検証方法のデザインはある程度理論家自身が考えるべきである。
 佐竹さんや吉田さんのやり方とは異なるが、理論を開発する際にも、あるいはおそらくそれを検証する際にも、理論家と野外研究者が共同研究をすることも、一つのやり方である。理論が実証に先行しているというが、ほとんどの理論は何らかの知見に基づいて生まれたものである。新たな理論というのは、理論家だけが思いつくものではなく、野外研究者の知見や発案に負うところも大きい。それを文献で知っただけでなく、まだ文献にならない知見、疑問、アイデアが重要なこともよくある。少なくとも、私はそう思っている。
 再び自戒をこめて言えば、理論生態学者も野外調査の基本は身に着けるべきである。昔は物理学で学位をとったものが「転向」して生態学を研究した。彼らが野外調査をしないのは無理もないが、初めから生態学を志したなら、得手不得手はともかく、野外調査ができてよい。

*1:事実を踏まえるべきだといいましたが、それを踏まえて