7.29 「流域圏と生物多様性」名古屋大学シンポジオン

オープンセミナー 水産資源と生物多様性総合評価
伊勢湾流域圏の自然共生型環境管理技術開発 http://www.errp.jp/
「海は死につつある」「魚が消える」というような危機の扇動が、巷にあふれている。陸上の生態学者、あるいは金融関係者にいたるまで、海の生態系は大変なのかと聞かれることがある。たしかに、沖合いの上位捕食者の資源量は激減しているが、陸上生態系よりも深刻だとは思えない。生物多様性条約の科学的根拠を集約しているミレニアム生態系評価(MA)では、陸域も含めた生物多様性の喪失要因として、土地利用変化、気候変動、外来種、乱獲、汚染の5つを挙げている。環境省の日本の生態学関係者へのアンケート調査でも、湖沼・河川・湿原の開発、沿岸の開発、森林伐採、人工林への転換、外来生物、ダム建設、道路建設などが生物多様性喪失の主要原因と回答され、狩猟・漁獲を挙げた回答は少なかった。
 そもそも、マグロ類など海洋上位捕食者の激減は、減少幅が過大に報告されている。2008年横浜での世界水産学会議でも、上位捕食者激減説を喧伝しているCensus of Marine Lifeの研究者が、減少幅が過大評価であったと紹介した。また、米国水産学会の有力者は、西洋と途上国・日本の利用する魚種の違いを指摘した。西洋諸国ではマグロやサケなど上位捕食者の利用率が高いが、途上国では廉価な大衆魚を利用しているため、西洋諸国では上位捕食者の減少が水産資源全体の枯渇を意味すると理解されている。
 日本の水産総合研究センターの試算では、持続可能に利用できる生物資源量は、1980年代のマイワシ高水準期に比べれば減っているものの、それ以前に比べてそれほど減っていない。マグロは減っているが、サンマは今より大幅に増産可能であり、単に需要がないので獲っていないだけである。要するに、水産資源の枯渇問題は、経済問題なのである。
 漁獲物の平均栄養段階(MTL)は、MAや生物多様性条約の指標である。上位捕食者が乱獲で利用できなくなり、代わりに下位栄養段階の魚種を利用することでMTLが減少していることが指摘されている。上位捕食者をよく利用する北大西洋ではMTLは単調に減少している。しかし、世界全体の平均では、1970年代のペルーのカタクチイワシ豊漁期、80年代の日本のマイワシ豊漁期にMTLが低下し、それ以外の時期には上昇していて、乱獲の指標とはいえない。日本の漁獲物のMTLに限れば、世界平均よりかなり高く、かつ減少の傾向は見られない。
 温室効果ガスの削減に排出量取引が導入されたのと同様に、生物多様性についても、その損失の上限(Cap)を定め、それを各国企業等に配分し、達成できない主体には配分枠の取引(Trade)を導入し、募金によって負荷量を買い取るCredit制度を導入する動きがある。問題は、温室効果ガスの排出量に匹敵するような生物多様性の負荷の簡便明快な評価手法である。生物多様性を示す指標として、生態系サービスへの経済価値が注目されている。生態系サービスの経済価値の評価は不確実性が高い。生物多様性を守る意義としては重要だが、Cap & Tradeの「通貨」になるかは疑問である。私は、生態学的足跡(Ecological Footprint=EF)が有効と考えている。これはWWF「生きている地球レポート」で以前から評価された手法であり、一部に評価手法の異論はあるものの、最も客観的な指標といえる。問題は、これだけでは生物多様性を直接保護する手段にならないことである。そのために、生物多様性または絶滅危惧種の保護を担保するCap評価手法が必要になるだろう。我々が提唱した期待生物多様性喪失(ELB)はその一つである。
 本講演では、水産資源を巡る生物多様性評価に関する議論を紹介するとともに、今後、生物多様性条約が数値目標を定める際に巻き起こる議論の可能性を論じる。