Date: Fri, 16 Dec 2005 14:20:14 +1200
【日本政府は、諸外国と比べても、生態系・生物多様性研究が、社会的インパクトの大きな課題とは思っていない。「社会的インパクト」というのは、実は産業界へのインパクト、あるいは経済的インパクトという点に力点があるからだという意見に対して】
おそらくその通りでしょう。地球温暖化自身が生態系にどのような影響があるかは、(精度はともかく)具体的に予測されています。本日私が仙台で講演するスライド【略】の9枚目にその一例を示しました。出典は以下*1の通り。
このような予測に対応するものは、千年紀生態系評価にもあります。Synthesisの89ページTable5.1などに、今後の環境政策後とのGDP予想が示されています。
RSBSレポートでは、産総研とパシコンがやった伊坪さんらの報告が大きく引用されています【】。海外の報告でも同じかもしれませんが、それぞれの分野の人が評価したものを(相互の大小を勘案することなく)足し合わせただけです。言ってみれば、絶滅危惧種の主観的評価(分類群ごとに不統一)の段階です。*2【】
本当は、もっと日本の生物多様性の重要性を我々(生態学者だけでなく、分類学者などにも呼びかけて)が具体的に示すべきではないでしょうか。たとえば、各地域にある生物種を列挙し、何万年前からその地に生育していたと考えられるかを評価し、いつ渡来した種で、その後の人とその生物の関係を具体的に調べ上げるというような壮大な事業が必要だと思います。
生物多様性の歴史的価値を論じるならば、このような作業が不可欠です。そして、日本【と途上国】の自然は欧米に引けをとらない価値があることを示すことができるのではないかと思います。
経済価値だけで評価するのには限界があります。むしろ、遺された生物多様性は人と自然の持続可能な関係を維持してきた証拠なのであり、その2千年の歴史を、一時代の短慮だけで台無しにすることの愚を問うべきだと私は思います。西洋のように一旦失ってしまえば、回復させるのには千年以上かかるのです。
これはどこまで本当かは知りませんが、講演の時には、いつも天皇制を例に挙げます(私は天皇制に反対ですが)。日本人の価値観は、一事の短慮で断絶する西洋とは違うのだと。取った駒を使える将棋文化だといってもよい。
Date: Sat, 31 Dec 2005 12:40:33 +1200
WTOの際の水産業会の国際声明を添付します【末尾】
グローバリズム(WTO)のもとで【生態系と地域循環型社会の】秩序を保つには、生物多様性と持続可能性が重要だと私は考えています。【】
- WTOメンバーに対して、漁業の基礎は関連する資源の持続可能性であり、従って現在WTOで交渉されている水産物の貿易自由化については、水産資源の保存・管理に十分な配慮がなされるべきであることを認めるよう強く要請する
- 水産資源の保存及び持続可能な利用を確保するため、WTOは水産物の貿易自由化が水産資源に及ぼす影響についてレビューし、適当な場合は、水産物貿易自由化措置をとるまえに、環境影響評価実施のメカニズムを確立すべきである
- WTOメンバーに対して、行き過ぎた貿易の自由化が漁業と漁業コミュニティーの文化と伝統的な価値に対し脅威を及ぼすことのないよう確保するとともに、特に、小規模漁業の脆弱性に対し特別な配慮が与えられるよう求める。
*1:Hare, W. L. (2003). Assessment of Knowledge on Impacts of Climate Change ? Contribution to the Specification of Art. 2 of the UNFCCC.
*2:私が彼らの評価を見たとき、開発の影響が環境汚染に比べてかなり低く出ていました。開発の影響を低く見積もった際に助言しましたが、誇大宣伝にならず私は満足したものです。バブル時代の開発の影響はすさまじかったが、恐竜の絶滅に比すべきものではありません。しかし、他の要因の影響と統一しないと、過大評価した要因の対策が政治的に優先されることになりますね