ヤクシカはいつから屋久島にいたか?人より古いのか?

2009年8月12日 9:46:55
 最近の見解(以下の3)で、私も気にかけていたところです。特に、誰かが活字にしているというものではないと思います。
私の認識

  1. 以前、ある人から「シカを捕獲するとは、放置できないほど屋久島の(原生)自然は脆弱なのか」と聞かれたことがあります。これが「放置派」の率直な自然観なのでしょう。生態系は予定調和的に維持されるものではないといいましたが、人間がいる前から屋久島の自然は豊かだったはずと思われたかもしれません。
  2. 三年ほど前、「縄文時代以後、ヤクシカは人間に捕獲され続けてきた。捕獲を前提とした生き方に進化してきているはずだ」といっていました。だから急に捕獲をやめることが撹乱要因であると言う意見を聞きました。「世界遺産をシカが喰う」で私が述べた「もし狩猟をやめるなら、それはかつて存在していた人と自然の関係によって保たれていた生態系の状態を変える可能性があり、特に多くの植物を絶滅させる恐れがあるということです。」と言う見解もそれを踏まえています。
  3. 最近、別の主張が出てきました。「屋久島にシカがすみ始めたのは九州と陸続きになった氷河期以後。人はそれ以前?から住んでいた。(屋久島に狩猟圧がないシカがいた歴史はない)」屋久島が1万年前までの氷河期に九州本島・種子島と陸続きになったことは定説ですね。その上で、人が住み始めた時代、シカが住み始めた時代がわかればよいのでしょう。シカについては屋久島での遺跡などからでてくればよいし、DNAからでもおよその分岐年代が分かるかもしれません。人間のほうも調べるべきですね。シカより古いか同時代か、あるいは人が来たほうが新しいのか。3の説は、人のほうが新しければ成り立たない。最終氷河期以前に(屋久島に)人がいたと言う記述は、HPでは見当たりません。もし同時なら、3は成り立ちます。シカが来たのは最終氷河期。人はそれと同時かそれ以前というのが、もっともありそうな話だと思いますが・・・(要確認)
  4. もっとも、喜界カルデラ大爆発(約6300年前)の影響の後で屋久島の自然が再生したとすれば、その前までさかのぼる必要はないかもしれません。当時から狩猟によりシカの大発生が抑えられていたとすれば、そこで「再生」した自然植生は、当然、シカの大発生を経験せずにできたはずです。むしろ、人もシカもいるなかで再生してきたと考えるべきでしょう。それがそれ以前の生態系と同じでないとすれば、史上初のシカの大発生に耐えられると考える根拠はないでしょう。この溶岩流は屋久島の土壌を大きく変えたとも(HPに)書かれています。

 ただし、6300年前と後で、自然植生などに差があるかどうか(特に、固有植物の起源がそれ以前かどうか)も、検討すべきでしょう。
2009年8月12日 23:20:20
 いずれにしても、最終氷河期(最寒は約2万年前)にヤクシカが侵入したとすれば、シカのほうが古くから屋久島にいたとは考えづらいですね。同時か、人間のほうが旧いという主張に説得力があると私は思います。

 喜界カルデラ火砕流堆積物は、屋久島の山地上部でも2mくらい堆積している場所があります。この火砕流によって屋久島の植生が大きな損傷を受けたことは確かです。しかし起源の古い固有植物がたくさん生き残っています。・・・ヤクシカやヤクザルも、一部の個体はこの大爆発を生き抜いたのでしょう。遺伝的変異が非常に低いので、少数の個体が生き残ったものと思われます。

 説得力あるご意見、ありがとうございます。しかし、シカの存在を見る上では、喜界カルデラ大爆発の後だけ考えても良いのではないかと思います。大爆発のような「天変地異」があった場合、その前の経験がどうであろうと、そのあと6300年間、シカは人間の捕食圧にさらされ続けてきたということが重要でしょう。過去6000年の人とシカが屋久島にい続けたという歴史を踏まえれば、今の生態系がシカ捕獲なしで大丈夫とはいえないと思います。