許容漁獲量の設定と資源回復目標についての議論

Date: Thu, 26 May 2005 17:50:05 +0900
Xさん、皆さん
【論点】整理ありがとうございます。シンポで議論する際に,ある程度事実関係についての基本認識の共有化を図ったほうがよいと思います。Fcurrentでよいと言っていますが、F【漁獲係数】は1960年代から今まで一定ではないと思います。1990年代からは一定とみなせるのですか?資源が減っているのに漁獲量を維持しようとすれば,Fは増えるはずです。ABCやTACだけで議論していますが、もう少し、議論を詰めたほうがよいと思います。漁獲量の事実認識は合意できても,資源量推定値が異なれば,Fcurrentの合意はできないでしょうが、それぞれ根拠を示して議論しないと,いつまでも議論が整理できないと私は思います。
Date: Fri, 27 May 2005 15:11:40 +0900
Xさん、皆さん 中央水研訪問中の松田です

私は、Fcurrent というのは、長期間の平均的な値ではなく、例えば、今年のF といった認識をしていました

松田:はい。そのFの値が、たとえばマイワシで長期的にどうなっているのか、その基本認識の共有化が重要だと思います。私は増え続けていると思っていましたが、そうでないのでしょうか?

松田)『それぞれ根拠を示して議論しないと,いつまでも議論が整理できないと私は思います。』
Xさん:そのとおりだと思いますが、その点でも悩んでいます。私が大雑把に整理した論点で、議論しようとしても、根拠が示せなくて、結局、私はこう思うに終わってしまうのかな、とも危惧しています。

松田) 結論が一致する必要はないでしょうが、基本認識の共通点と相違点を整理しないと、議論は進まないと思います。

Xさん)だた、Yさんには悪いのですが、私は、現行のABC算定ルールをベースに議論する必要は必ずしもないのではないかと思っています。

松田) 現行のABCルールが合意点でないと理解しています。だから、ABC=0という決定に異論が出るのでしょう。だとすれば、現行のABC算定ルールは共通点ではないはずです。より根本的なところから共通点を探らないと、議論が進まないでしょう。
 私はXさんに比べれば、現行のABC規則をより支持しているようです。むしろ、十分私(とXさんと思っていますが)の意見を取り入れていただきつつあると思っています。

Date: Sat, 28 May 2005 11:26:00 +0900
Zさん、皆さん

  • 立場A 目標資源水準を決め、産卵親魚を残すことによって、目標資源水準にある年限で到達させる。
  • 立場B 資源の増減は環境で決定されるので、環境が好転するまでは、資源の増大をあきらめ、現状維持を目指す。
Zさん)私は他にも色々な立場があり得ると考えています。(ご提案の2つの立場だけだと,考え方のギャップが大きすぎて論議はいつまでたっても平行線をたどるような気がします。)

松田) 実際上、この10年間、マイワシについて、資源量の現状維持を本気で目指した人はいないと思います。少なくとも、現実には、資源を減らし続ける選択をしたわけです。それを悪いとは言えません。けれども、資源量の現状維持を目指した結果今日の事態を招いたとはいえないと私は思います。マサバについて、資源の現状維持を目指した人がいたのでしょうか?現実には,現状維持だったのか,さらに減ったのか,どうでしょうか。
例として、考えるべき具体的対象を1,2設定しませんか?たとえばマイワシ○○系群の##年(これが適当かは不明です)のABC算定時点を考えてみるなど。抽象的に議論だけでは,整理がつかないと思います。
 Yさんなら、現状維持を目指す方針でのABCなどを再計算できるはずです。現在持っている情報でなく,当時の情報でどう計算されたかも示すことができると期待します。当時の認識で、TACあるいは漁獲量がその後の現実と同じならばどのように変化すると予想できたかも言及できるはずです(できれば、一通りの予想ではなく,幅を持ったリスク評価が望ましい)。
 たぶん、Xさんは、マイワシの減少期に資源回復計画を設定することに同意しないと思います。それは私も同じです。けれども、減ってもよいと言う漁業を「現状維持を目指す」と表現するとすれば、私は同意できません。また、現在もなお減らし続けるのかどうかについてはXさんとは少し意見が違うと思っています。それは、具体的な情報を共有して、議論を詰めることができると思います。
 ちなみに、我が国大の「リスクマネジメント手続きの基本形案」ならびに生態学会生態系管理専門委員会の「自然再生事業指針」を公開していますので,紹介します。そのいずれにおいても、目標(たとえば資源量の維持や回復目標)は科学者が決めることではなく,社会的合意によるものとしています。