学生の書評原稿料は高く維持すべきか?

生物科学編集委員会で、書評の原稿料を1万円から5000円に値下げする提案があり、学生だけは1万円に据え置くと言う修正意見が出されたことに対する意見】
Date: Fri, 27 May 2005 09:02:32 +0900
昔、生物科学の原稿料は1字1円で、○○○○はたしか1字4円だったと思います【未確認】。書評はだいたい2000字程度でしょうか?それなら1万円は高すぎると思います。
 書評執筆者には評した本は贈っていないのですか?送っているなら,原稿料は不要だと思います。学生にも、原稿料よりは本自体を贈るほうがよいでしょう。
 書評で原稿料と言うよりは(私も28歳くらいで始めて数理科学に書評を書いて【原稿料を】貰いましたが)、校閲原稿を書いて貰うほうが,学生にも励みになるでしょう。
 というわけで、学生と職もちで原稿料を差別化するのには反対です。一律無しでもよいとさえ思います。

Date: Fri, 27 May 2005 10:37:37 +0900
【商業誌なのだから、原稿料は当然と言う反論に対して】
 生物科学は商業誌だったのですか。すいません。認識を改めました。それならば、営業サイドで判断すればよいでしょう。
X氏)それよりも,理系の「書評誌」あるいは「書評文化」がほとんどそだっていない日本の現状を考えますと,原稿量を出してでも,いい書評を集めた方が生物科学の付加価値を高める上でいい結果を生むのではないかと思います.
松田)それならば、少ないですね。また、安易に大学院生に依頼するものでもないでしょう。ジャーナリストまたはそれを目指す人に依頼すべきです。
X氏)|有職者を問わず「原稿料がいいから生物科学に書評を書いてみたい」という人は少なくありません.もっぱら「売文」で生活しているわけでは必ずしもありませんが,お金の効果は大きい
松田) これは認識を改めました。よい本を紹介したいと思っていました。学問を支えようという気概が動機だと思っていました。
X氏)|書評本は出版社から編集部に献本されてくるのが普通ですから,書評者に本をあげれば原稿料は不要というのは筋違いです.
松田) よくわかりません。学会誌では、特に原稿料は払っていません。書く側(特に学生)にとっては、【学会誌も生物科学も】同じことだと思います。

Date: Fri, 27 May 2005 11:24:14 +0900
「松田)生物科学は商業誌だったのですか。すいません。認識を改めました。それならば、営業サイドで判断すればよいでしょう。」「X氏)はい,その通りです.一般書店で売られている雑誌はすべて商業誌です.」
松田) 私が言いたいのは、生物科学は【かつて岩波書店から発行していた日本生物科学者協会編集の「生物科学」を引き継いでくれた】農文協としても学問と文化を支えるために,採算をかなり度外視して担っていただいているのではないかと言う点です。
 商業サイドで考えるならば,職業もちに【原稿料】5000円,学生に1万円と言うのはありえないと思います。前者のほうが統計的によい書評を書くでしょう。書評文化を支える人材として適確です。学生に依頼するときは、人材を育てる、その本の評者として実は専門知識を身につけているならばデビューさせると言う意味があると思います。それは商業サイドも考えますが,そのほうが原稿料を高くするなど,商業的にも教育的にもありえない。
X氏)|「気概」をもって書評し,しかもそれに「金銭」が付随するというのは実にハッピーなことではないですか? つまらない本を書評に取り上げるのは,書評者の“評判”を落とすだけで,短期間のうちに淘汰されますよ.
松田) そのとおり。原稿料がないからいい加減な書評を書くなどありえません。本人のマイナスです。これは学生でも同じです。しかし、引き受けないことはありえます。金のために引き受けるような人には、頼まないほうが学問的には正しい。私が学生なら、よい本の書評は無料でも引き受けます(本はほしい)。
 それと、新聞の書評欄などにプロが書く書評は別です。あれは高額の原稿料を払うべきです。
 なぜ学生を高くすべきなのか、わかりません。教育的にも正しい方針ではないと私は思います。世間はそんなに甘くない。そんなに甘いことを,学生も期待していない。むしろ認識を誤らせるでしょう。
 Xさんの【書評文化の育成と言う】意見を尊重するならば,原稿料を下げること自体が間違いだと思います。(私の意見は、一律引き下げか,無料=原稿料物納=の前世紀に戻ることです)
Date: Sun, 29 May 2005 10:50:21 +0900
編集委員会各位【中略】
 もう一度だけ申します(しつこくてすいません)。
 原稿執筆の機会があると言うだけで、私は十分若手への励ましになると思います。いい加減な原稿を書けば(恥さらしになった学会発表と同じく)、学生にとっては未来を失いかねない損失です。逆に、よい原稿を書けば、その後出版社への覚えもめでたくなり、原稿依頼も来るものです。つまり、デビューのチャンスなのですから、私の場合は精魂込めて書きましたし、指導者などの助言も得ました。
 原稿料の学生優遇は、商業的にも教育的にも妥当とはいえません。むしろ、きちんとした原稿に仕上がるように助言するほうが重要です。
 また、よい書評とは、よい本の書評ではありません。私が最初に依頼された書評本は、ある先輩の紹介でしたが、私から見てたいへん不満の多い本でした。それをどう批判しようかたいへん悩みました。その批判的な書評を出版社に評価され、今でも【その雑誌】とは(編集者は3代かわりましたが)付き合いが続いています。これは、原稿料の多寡で買えるものではありません。
 原稿料を増やして学生を励ますと言うのは、金で買えない価値をかえって見失わせるものだと私は思います。そもそも、このような配慮は不要であり、甘いだけです。その甘さに見合うほどの経済的うまみが1万円にあるとも思いません。(はじめて)執筆の機会を与えられると言うことに、1万円の価値しか見出せないなら、それこそ、私は嘆かわしいと思います。
 私は反対です。しかし、論拠は十分述べましたので、最後は編集長と皆さんにお任せします。
 誤解なきよう申しますが、私は○○さんの書評に商業価値がないというのではありません。本誌に出血サービスで貢献いただいていると思います。
私の主な書評【略】