教育委員会と御用学者

 いじめ自殺をゼロと報告し続けたこと、および必修科目未履修問題で、報道機関による教育委員会批判が高まっている。教育委員会は非常勤だから、委員ではなく、おそらく事務方(文科省)がさまざまな意思決定や報告書素案を準備するのだろう。しかし、委員会でもかなり意見は出るはずで、それを元に意思決定や報告書成案は変更されるはずである。
 これは他の官庁や自治体、民間の有識者委員会でも同じだと思うが、事務方が作ったことを委員会が大幅に変更することは多くの場合難しい。知床世界遺産科学委員会では、国際自然保護連合(IUCN)から批判を受けたことを事務方が委員会に知らせないままに報道されたため、委員長判断で自主的に議論を行い、回答案を作った。しかし、事務方はそれを無視して当事者として回答した。果たしてIUCNから二度目の書簡を受けた。その後ようやく我々科学委員会にはかり、我々が現実的な制約とIUCNの要求を満たすぎりぎりの解を答申し、政府回答に反映され、遺産登録を実現した経緯がある。その際に、科学委員会が自主的な活動を行うことは従来の委員会のあり方になじまないなどと批判されたことがある。語るに落ちるとはこのことである。
 自分が名を連ねている以上、さらには事務方ではなく、委員会名で報告書がまとめられる場合には、当然ながら、委員はその報告書や委員会活動に責任を伴うはずである。ある委員会で問題がおきたときに、委員長が自分は雇われマダムにすぎないと公言されたことがある。
 事務方にとっては、自分たちの敷いた路線にお墨付き(mandate=権限)を与えてくれる「御用学者」のほうが便利である。それだけが目的ならば、委員会は「無用の長物」(11月4日付毎日新聞社説における教育委員会への表現)になりかねない。しかし、専門家でなければ指摘できないこともあるし、行政側に対して多様な立場の意見を反映させる重要な機会でもある。時には、委員にこう発言してくれと内々に頼んでくる事務方もある。納得いくことなら、私はそれに従う。委員会ではかなり厳しい意見を述べることもあるが、これは壊すための発言ではなく、多くの場合は、よりよいものに変えていくための提言である。本当に建設的な改良が不可能で、壊したほうがましなものならば、かなり初期の段階で引き受けた委員には見えてくるだろう。
 2005年愛知万博の環境影響評価では、海上の森のせめて半分程度は使わないと万博は事業として成り立たないといわれ続けてきた。結果としては、長久手会場を主会場にすることで、海上の森の大半を保全する計画に変わった。私は事業経営のことは門外漢だから、このままでは万博は失敗すると思い込んでいた。蓋を開けてみると、事業者たちは成功したと言っている。事務方の説明はあてにならないことがよくわかった。海上の森保全策は事業者にとって確かに厳しい制約だっただろうが、本当にそれが必要な制約ならば、それで事業は成り立つものである。願わくば、本当にできないことと、本当はできるが極力避けたいことがわかるようなメッセジを、事務方は発してほしい。