排出権 一人当たりではなぜ悪い?

Date: Sat, 2 Feb 2008 08:58:21 +0900
 朝日新聞1/29論壇時評、杉田敦さんの「温暖化対策、「近代」の対立構図を反映」を拝読しました。排出権取引に懐疑的な岡さんと、それに反論する植田和弘さんらの論点が、よくまとまっていたと思いました(新澤秀則さんの論点は弱弱しく紹介され、不満かもしれませんが)。(紹介記事発見)
 いつも疑問に思うのは、それぞれの国の1990年の排出量を基準にしているので、削減努力をすでにしている国が損をする、これから削減する国や企業も損をする(排出権の配分を過去の実績で決める場合)という点です。
 私には、なぜ、一人当たり排出量をベースに配分しないのかがわかりません。これが最も公平ではないですか。排出量はGDPなどに依存するので、一人当たり一定にする理由はないと言われるかもしれませんが、それは排出権取引がない場合で、取引できるならば、先進国は途上国から排出権を買い、豊かな経済活動を維持すればよいと思います。これならば、岡さんの言う公平性の欠如は生じないと感じます。実際に、先進国は途上国に多くの有償無償の経済援助を行っています。このODA基金が排出権買い取りに転嫁するだけで、大きな問題にはならないと思います。
 もちろん、先進国にとってはこの制度は(現在提案している制度よりも)損をしているかもしれません。援助は有形無形の植民地支配の手段であり、排出権買い取り市場にしてしまうと、利権が失われるかもしれません。しかし、これらは何も悪いことではありません。目標を達成しやすくするために人口増加策をとる「弊害」があるかもしれませんが、移民を受け入れるならば悪いことではないし、先進国が「産めよ増やせよ」政策に戻る懸念にはあまり現実味がありません。必要なら人口政策の国際合意を別に作ればよいことでしょう。
 少なくとも、一人当たり排出量を基準にした排出権取引では何が悪いのかが、私にはわかりません。
 日本としては、むしろ、一人当たり排出権をベースにして、取引市場を築く場合の具体的な問題点を吟味し、より現実的な解を準備すべきではないでしょうか?
 これからは京都議定書の数値目標の達成ばかりに議論が行くかもしれませんが、何が環境に優しいのか、もっと原点の議論をしっかり進めていくべきだと思います。門外漢の質問で恐縮ですが、以前からこの質問をしても合点のいくお返事を伺ったことがありません。わかりやすいお返事がありましたら教えてください。
 これもまた、日本の国益に資する逆提案と言えなくもないですが、それでもよいのではないかと思います。