Date: Sun, 24 Jun 2018 12:51:52 +0900
「分野の異なる皆様とご一緒でき、大変に刺激を受け、勉強になりました。」私も同感です。このような機会を頂き,お礼申し上げます。
一点だけ,総合討論でいいのがしたことを申させてください。
「生きるために必要だから絶滅危惧種を喰らう」というだけならば,先進国から食料が調達できれば食べなくてよいという考えもあり得るかもしれません。しかし,北海道と東日本の自然は,今や十分に増えたクマに襲われ,食われるリスクさえある場所です。1970年頃には激減していた鹿は,今では全国各地で大発生して農林業だけでなく国立公園の植物を台無しにしています。ところが肉や毛皮を利用する経済はいったんほぼ絶滅し,解決困難に陥っています。今までと異なる自然との接し方を排除すべきではありませんが,いきなり全く利用しないというのは,別の困難をもたらすと思います。
カワウもかつては絶滅危惧種だが,今では増えすぎてアユの漁業被害や営巣する森を枯らしています。カワウの最大拠点である琵琶湖の竹生島を訪れた時に【】「物には程ってものがある。(カワウを)取ってくれ」と【言われ】ました。肉の大食いから菜食主義に変わる一神教ではない,「ほどほど」という考えに大いに惹かれました。それ以来,私はリスクの科学で「ほどほど」を順応的管理の文脈で重視しています。
象牙や毛皮でなく,今回は喰らうことに絞ろうと申しましたが,野生動物が増えすぎる反応まで無視してよいという意味ではありませんでした。私が紹介した岩井雪乃さんの書名『ぼくの村がゾウに襲われるわけ』【松田書評】が問題点を端的に言い表していると思います。
長くなりました。ごめんなさい。今後ともよろしくお願いいたします。