想定外の事態が起こるリスクとは

4/30付けの日記で、予想と想定の差を述べた。昨日の毎日新聞によると、原発の耐震指針の見直しを進める原子力安全委員会の分科会で、「想定外の地震によるリスクの存在を確認すべきだ」という指摘がなされたと言う。
今までこれを勘案していなかったとすれば、リスク管理として不十分である。リスク管理とは、リスクをゼロにできるような管理とは限らない。たとえば保全生態学では、向こう100年間の絶滅リスクを十分低い値、たとえば5%以下に下げるような保全策を提案することがある。これは、絶対に絶滅しない保全策ではない。漁業管理でも、私がかかわっているエゾシカ管理でも、100年以内に数値目標を達成できないリスクを5%以下にするような管理方策を提案している。この数値は未実証の前提に基づくもので、どこまで正確かは議論があるだろう。しかし、今まで20年に1度しか起きないような悪い環境が4年続けば失敗するとか、シカの個体数が推定値の3倍いれば失敗するとか、鹿が狩猟圧により行動を変えれば想定どおりには獲れなくなるなど、どのような事態が起これば失敗するかはある程度予想できる。どんな場合に失敗するかを一つも予想していないような管理計画は危ない。
4/30に、私は、あらかじめ対策を立てているものが「想定内」であり、対策を立てられなくても起こりえることを「予想」と区別することを提案した。それが堀江氏の流行語に近い使い方だと論じた。上記の原発の議論は、この定義に沿っている。言葉の定義はともかく、今まで、想定外のことが起こるリスクを一つも予想していなかったとすれば、それ自身が怖い話である。
原発のリスクを少しでも認めれば世論の合意を得られないなど、そのリスクの公表方法には議論があったのかもしれない。しかし、専門家は、厳しく想定外の事態を予想すべきである。もし、今までも専門家の間ではこの[残余のリスク」が確認されていて、今後はこの存在を公然と確認するようになったとすれば、原発においても、ようやくリスクコミュニケーションができてきたと言えるだろう。
リスク管理においては、特に、最も起こりそうな、あるいは問題となりそうな、想定外の事態を予想しておくべきである。その対策も立てられたらそれに越したことはない。しかし、すべての事態に対処することは、現実的に不可能だろう。このような想定外の事態の予想なくして、リスク管理は成功しない。