テロリズムとリスク評価 

原発のリスク評価を見ていて、率直な疑問がある。以前地震が起きたときの原発のリスクについて書いた。もっと深刻なのは、テロリストにハイジャックされた飛行機が原発に衝突するなど、テロリズムの標的になったときのリスクである。
 このようなリスクの大きさは、それを実際に行う集団がいるかどうかで変わる。私は、性悪説を好まないので、5年前に原発のリスク評価者がこれを想定しなかったとしても、それを批判するつもりはない。しかし、現在は想定できるはずだ。だとすれば、原発の安全性に関する議論は、2004年9.11以前と以後では全く違うと思う。
 他にも「非日常的」事態を無視することが、リスク評価に影響すると思われる事態は数多い。河川から海に運ばれる化学物質濃度など、増水しているときを除いたデータで推論しても、氾濫したときの値を含めたら、リスクはだいぶ違うかもしれない(修正が増減どちらに効くかはわからない)。
 私が参加した2001年の国際捕鯨委員会科学委員会で、クジラの絶滅までの平均待ち時間が10^45乗年などと試算され、かつ、そのような低いリスクも考慮すべきと議事録に記録されたことがあった。私は空いた口がふさがらなかった。このような低いリスクを根拠に絶滅の恐れがあるという口実でクジラを取るなというのは無意味だと思う。
 それにしても、この絶滅リスクは低すぎる(宇宙の寿命よりはるかに長い)。これは、過去数十年間の個体数変動が将来も永久に続くと仮定しているからで、「非日常的」変化を無視しているからだ。リスクの絶対値は信頼性が乏しいとよく言われるが、これはその好例である。数百年に一度以下のまれな事件が引き起こすあまりにも低いリスクは、このような解析からは議論できないし、その結果得られた10^45年などというリスクを考慮する必要があるとは思えない。
 では、たとえばBSE感染のリスク評価の際に、このようなテロリズム、あるいは「想定外の事件」が考えられるだろうか?テロリストは、たとえば肉骨粉を家畜飼料に混ぜるような、BSEの汚染源を撒き散らすようなテロ行為はしないだろう。もっと直接的に脅威につながるテロを行うと思う。したがって、BSE感染リスクに関する限り、テロ行為の肉牛検査体制への影響は現実性がないと思う。テロでなくても、実際に、家畜飼料に肉骨粉を混ぜる農家がいる可能性は否定できないかもしれない。また、BSE感染の兆候のある牛が見つかって、検査にかけずに処分される可能性もあった。今では、その可能性はかなり低いと思うが、それはリスクコミュニケーションの一定の成果である。正直に申告していただくような社会の仕組みと信頼づくりが最も重要だ。このような過少申告は避けたほうがよい。そして、英国では過少申告率が推定されている論文もある。特に、過小申告により日本のBSEリスクが大きな修正を迫られるとは思わない。そのリスクはゼロではないが、いずれにしても、日本でヤコブ病に感染するリスクはきわめて低いといえるだろう。
 さらに、このような申告漏れによるリスクがどちらに効くかは、一筋縄ではいかない。以前、日本が商業捕鯨時代に捕獲数を過少申告していたという醜聞がIWCでも報告された。過少申告はよくない。事実とすれば修正すべきである。ただし、それにより、クジラの生息数が下方修正されるとは限らない。実際に修正提案が出ていないので計算していないが、むしろ、上方修正される可能性が高い。なぜなら、絶対生息数は、捕獲数の実績から、捕獲されても維持される個体数を逆算しているからだ。以前、グリーンピースジャパンに招かれたとき(2003.3.20)にこの話をしたら、聴衆は真剣に耳を傾けてくれた。価値観はさておき、科学的推定方法の意味を理解しようとする聴衆にえらく感心した覚えがある。