世界遺産と万博の旅

7月22日 飛行機がでるまで時間があったので、ホテルのすぐそばにあるShoenbrun宮殿を見学した。庭はSounds of Musicの撮影にも使われたらしい。すごい人だった。部屋の扉の前でツアーが説明を始めるので、移動できずにたいへんだった。宮殿内は撮影禁止だったが、マリー・アントワネットゆかりの部屋と家具と肖像画を見ることができた。
 13時20分発の便でバルセロナに向かう。【】16時頃着いたが、日没は22時前で、まだ時間がある。街中に繰り出し、ピカソ美術館を見る。展示品よりもゴチック様式の建物が魅力だ。そばの大聖堂の中も立派だった。丁度結婚式の現場に遭遇したが、普通に内部を見学できた。14世紀にできたようだが、大聖堂がこの地に生まれたのは1098年とある。翌日聞いたが、その説明にある3ヶ国語とは、地元のカタルニヤ語、スペイン語、英語である。スペインは皆スペイン語と思っていたが、認識を改めた。レアルマドリードバルセロナのサッカーは「国際」試合なのだ。
 この大聖堂は無料だが、袖なしの男女は入場を拒否される。これも宗教上の方針なのだろう【】
7月23日 【】サグラダ・ファミリア聖堂に行く。これは1900年頃から建築中で、あと20年で完成予定という世界遺産だ。昔の遺産と言うよりは、今作り続けている。その壮大さには圧倒されるが、これがテロの標的になったらたいへんだと思った。作るのは何世代もの多くの人の意思と募金が必要でたいへんだが、壊すのは一部のテロリストでも簡単だ。スペインはイギリスのようにイスラムと戦争はできないと感じた。もっとも、スペイン内戦のときに少し壊されたらしい。
 世界遺産というものは、古典となったものを指定するのではなく、指定することによって古典にするものだろうか?芸術や文化には、一世を風靡するだけのものと、永く後世の人々に親しまれ続けるものがある。ガウディの作品は、彼の時代には奇抜すぎたとも言われる。今評価されたからといって、後世の人々が評価し続けるとは限らない。これらを世界遺産に指定するのはたいへん疑問だ。もっと世間の評価が何代も継続して定着してからでも遅くはないはずだ。ユネスコもまた、後世に残らない活動をするつもりなのだろうか。
 動物博物館は最悪だった。1888年万博の食堂に使われた建物と言うことで、狭い。1階でまず目に付くのが本当の恐竜と書いた展示。「本当の」とはどういう意味かと思ったが、体表の色がわからないなどとは少しも書いていない。さらに進むと、ゴジラなどの怪獣が展示され、口から火を吐くビデオが流されている。偽者の怪獣も展示するのがここの動物博物館。2階はただの標本展示。ウィーン以上に、建物を見るだけの価値しかない動物博物館だった。隣の熱帯植物博物館は、閉鎖されて、面積の大半が食堂に改築されたらしい。
7月24日 セビリアスペイン語でSevillaはセビージャと発音)に移動。ホテルに荷物を置いて、セビージャ大聖堂を見学する。セビージャはイスラム支配の痕跡が残り、これだけ大きな大聖堂を建てる気になったのだろう。内部はただただ見事というしかない。コロンブススペイン語ではColonというらしい)とその息子の墓もある。
7月25日 早朝からDonana国立公園・自然公園に向かう。環境観光の車(ベンツの4輪駆動)に乗り、砂丘地帯に向かう。最初のうちは哺乳類と蛇の足跡しか見ない。砂丘が年数メートルずつ動き、縞状にできた林を飲み込んでいくのだそうだ。砂丘の間は200mもないから、この林は20年くらいで更新することになるのだろう。この自然公園には鹿2種、猪、野生の馬、Iberian Imperial Eagleなどがいる。山猫もいるそうだが夜行性なので見ることはない(足跡くらい説明してほしい)。馬にはすべて標識をつけているそうだ。
 午後には隣の河岸にあるオディール自然公園に行く。ここも河口で、広大な湿地帯だ。釧路湿原に引けをとらないと思う。河口から海岸にしっかり砂が供給され、見事な州ができている。ただし、そこで行うミサゴの保護増殖事業はいささかがっかりした。スペインは内陸に湖が少なく、ミサゴの生息適地は海岸沿いに限られ、そこはこの60年間にリゾート開発で失われたと言う。ミサゴは100年前まではイベリア半島にもいたが、いなくなり、フィンランドスコットランドから雛をもらってここで育てているという。しかも、ダムのような人工池が内陸の生息適地になるという。どうやらこれからダムをたくさん作ってミサゴを増やすらしい。上流にダムを作ってから砂が減ったと認識していたにもかかわらず。ミサゴの居る人工池よりミサゴが居ない湿地のほうが価値があると指摘しておいた。
 なぜ、皆猛禽にこだわるのだろうか?猛禽が増えるから人工のダム湖がよいと言うのは、本末転倒だ。
7月26日 1992年にセビージャも万博をやったらしい。そのとき、一流ホテルは1泊18万円くらい取ろうとして客が入らなかったところもあったらしい。まだ万博の施設や橋が残っている。すぐに消えたのは木造の日本館だったというが、それはそれでもよいと思う。
 今日はDonana国立公園・自然公園の説明を受ける。ここは1968年に国立公園、1981年にユネスコMAB、1982年にラムサール条約に登録され、1989年に周辺を自然公園に指定し、1994年に世界自然遺産に登録している。国立公園と自然公園あわせて1100km2とべらぼうに広い。知床は561km2だが、その全体が190km2の釧路湿原のような場所である。しかし、この中でも鹿2種(うち小型の1種はローマ時代の移入種)が増えている。1964年まで狩猟場だったが、その後禁猟となり、オオカミも絶滅し、黒熊は南イベリアにはいないので、上位捕食者もなく増え続けている。その植生破壊も深刻だ。その上、上流の農業、セビージャまで貨物船を通す河川は直線化され、農業廃水の富栄養化、さらに1998年には鉱山事故で大量の重金属を含む汚物が流れ込もうとしたと言う。あらゆる環境問題がこの場に凝縮されている。
 ずっと平坦な場所だから、鹿の捕獲を復活すれば、減らすことはそれほど困難とは思えない。伝染病と草原が減ったためにウサギが減り、それを餌にするlynxも絶滅に瀕していると言う。そのため森を切ってウサギの生息適地である草原を増やしていると言うが、鹿の食害を助長するだけだろう。少なくとも、鹿の捕獲ができている点は、我が日本のほうが優れている。
 河川の蛇行化が必要だが、さらに大型船を通すために浚渫しようと言う動きがあると言う。また、湿原に河川の水を導入することも検討されているが、農業廃水を含んでいるために富栄養化が懸念されていると言う。また、ダムの影響で砂の供給が減り、衛星写真で、20年間に河口付近の砂浜が激減していると言う。20年後には河口まで砂浜がなくなってしまうかもしれない。いくら広くても、砂の流出がなくなれば、この遺産を守ることはできないだろう。
 イベリア半島は、中世には南部も湿潤で森林に覆われていたと言う。昔から乾燥していたわけではないらしい。だとすれば、降水量も違っていただろう。やがてここは、サハラ砂漠のようになってしまうのかもしれない。日本の自然も損なわれているが、アメリカ西部やスペイン南部に比べればずっとましである。
(以上)