生物学的許容漁獲量を巡る議論(続き)

Date: Fri, 10 Mar 2006 08:48:15 +0900
○○様、皆様 早速のお返事、有難うございました。
【○○さんは禁漁とする資源水準Bbanを「制約つき最適化」を解いた結果として「一意的に」定めている事に対して】
 この場合の「一意的」は生物学だけでなく、制約および評価関数(○○さんが提示されたパレートフロンティアの中で何を選択するかも含みます)に(漁獲量最大化以外の)社会経済学的要因が含まれていると思います。それらを所与のものとすれば、たしかに理論的には一意的に定まるでしょう(これが、○○先生の仰る「MSYは存在するがわからないという批判ならわかる」というご意見につながると思います)
 このご意見をもとに○○さんの存念を推し量ると、以下のように整理できると思います。
・MSY理論により「生物学的に」(漁獲量最大化以外に社会経済的要因を考慮せずに、あるいは生物学者のみによって)管理方策が定まるという誤解を与えるならば、この概念自体が有害である(これは、現在のABC・TACという意思決定方式への批判にもつながります)。
・不確実性(資源評価誤差、生活史係数推定誤差、管理実施上の誤差operational errorなど)、非定常性(海況年変動process error、レジームシフトすなわち再生産関係の「多元性」など)を考慮すれば、「最適化」という概念よりは、漁業者も合意できる「間違いのない」方策、つまりリスク管理のほうが(最適化よりも)有効である。
 したがって、重要なのは資源を持続的に利用し、漁業が成り立つ状態を維持し、それを漁業者と合意の上で進めることと思います。
 しかし、○○さんの枠組みは、評価関数の多元性、社会経済製、不確実性を組み込んだ上で、どの側面から見ても劣る管理方策を避け、パレートフロンティアを提示するという意味で最適化概念を利用し、その後は社会合意に委ねるというものですから、それでよいと思います。つまり、この枠組みにおいては、最適化とリスク管理は矛盾しない。これについては私が環境経済学者に当てた書簡http://d.hatena.ne.jp/hymatsuda/20060214をご覧ください
 私は、これはwise use概念に近いと思いますが、むしろ「最適化」を語ることにより、社会経済的要因を理論(あるいは合意形成過程)に明確に組み込むことができるとも言えるでしょう(そうでないと、リスク管理は生物学的に行い、パレート最適化を求める作業に社会経済的要因と生物的要因が同時に盛り込まれず、ABC→TACという従来の意思決定方式が生き残ってしまう)。すなわち、我々が目指すべきは「パレート最適化を求める作業に生物的社会経済的側面を入れ」その評価関数を合意し、その上で科学的にそれを実現するTACを答申し、利害関係者の社会合意を得る過程を作ることです。
 再度、【】参考までに、横浜国大でまとめた合意形成の基本手順をご覧ください。http://risk.kan.ynu.ac.jp/matsuda/2005/TMreportA.html
 なお、いずれにしても人間中心主義という点は○○さんのご指摘どおりです。それは保全生態学自体でも共通認識となりつつあります(2004年の生態学会での下記議論を参照)http://risk.kan.ynu.ac.jp/matsuda/2004/040826v2.html
 最初はラフでしょうが、社会合意を経てから科学者が答申し、さらに社会合意を繰り返すことは今すぐにでも必要です。また、経済学者をこの検討会議に入れていただければ幸いです。

資源管理や生態系管理は究極のところ「人間中心主義」の考え方であるという原点を見つめながら考え方を整理する必要があると思います。「生物学的」という呪縛から逃れるべきだという議論がそろそろ必要だろうと思います。

全く同感です。皆様のご意見をお聞かせください。