若手の交渉力と複雑系科学の未来

Date: Mon, 1 Jan 2007 02:42:28 +0900
○○先生
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 私も複雑系研究者には冷たいほうです。複雑系研究は、大天才でなければ、エレガントにはできないと思います。二番煎じでやっても意味がない。新たな着想で、いかにそれを面白く見せるかがポイントです。おそらくサンタフェは、天才が凡才を機械のように扱って成果を量産する世界でしょう。【】
 新たな考えほど敵が多い。これは学問の常識です。却下されない論文はたいしたことない。私もそうでしたが、数学的に正しいことはやがて相手(私が留学したSupervisorのPeter Abrams)も認めてくれる。今度はPeterとの共著論文が校閲者の袋叩きにあったが、今ではその論文がadaptive dynamicsの先駆例になりました。私にはこの逆風を跳ね返す根性も英語力もなかったが、Peterが立ち向かう過程を共著者として体験しました。
 国際ワークショップなどでは、話の長い、話しながら結論を考えるタイプの発言は嫌われます。欧米の議論を聞いていると間があくことはなく、すきあらば発言しようという人ばかりです。だから日本人の多くは黙る。私も、Chairのとき以外はほとんど黙ってしまいます。中堅以上の日本人には、メール会議のほうが良いかもしれませんね。会話力に比べれば、読み書きは数段上ですから。(文法ミスを恐れなければ)

 【複雑系の概念の有効性】は歴史【の判断を待たないと】わかりません。科学の常として、一つのブームが20年を経て消え去ることは良くあります。複雑系の場合、カタストロフ、カオスなどの概念が消えることはありえませんが、「複雑系といえばわかった気がする」という状況は消えるでしょう。【】要は創意工夫の中身です(それは「リスク」も同じですが)。 複雑系をやっているから有効とか、複雑系という言葉を使わないからだめというものではありません。
 ご指摘どおり、【複雑系に取り込まれた諸概念は重要であり、複雑系】よりずっと古い概念です。これらは概念として否定できないが、複雑系は定義もあいまいで、その言葉を使わないと議論できないというものではありません。
 【科学は遊びのような研究から「サプライズ」が生じることはいくらでもあるというのは】その通りです。【最初は自分で価値を人に説く段階であり、他人が認めない段階があります】。それは悪いことではない。誰しも、そのような段階はあります。その段階でのやる気が重要です。
 学者にとって重要なのは、流行語を使うことではありません。本当に斬新なことは叩かれる。それを超えてこそ新たな時流を作れる【】。真贋を見極められずに叩く側にも責任がありますが、真贋のわからない権威はつねに存在しますから、叩かれたら潰れるという研究者では、新たな時流は作れません。これは、一流の研究者でなくても、大なり小なりすべての研究者にとって同じです(叩かれ具合は違う)。科学者のやることなど、世間の大多数の人には意義がわからない。自分の研究の価値は、誰にほめられなくても、自分で確信せねばだめでしょう。ただし、自分として納得行くことと、社会に真に貢献できるかどうかは別のことです。それを学界が認めれば職業にはなるでしょう。しかし、学界が認めても、社会に役立つとは限りません。しかし、私は科学者は前者でよいと思っています。
 とはいえ、親の七光でも、指導教官の庇護でも、時流に乗ったことでも、脚光を浴びること自体が悪いことではありません。自分の研究の完成度は自分が一番知っているべきことです。
 私は以前、Russell Landeの進化量的遺伝学モデルをとても実証に耐えうる理論ではないと批判しました(http://meme.biology.tohoku.ac.jp/NEB/5-1.pdfのP11)。その理論は20年前に日本でもてはやされ、多くの若手野外・実験研究者が成果を挙げられずに撃沈しました。膨大な労力が無駄になったと思います。
 【能力のある物ほど敵が多いというのは】よく言われる言葉ですね。特に、若いうちはしかたないでしょう。権威は、芽を育てるものです。Robert Mayは、【】若手の研究をいち早く評価し、持ち上げるのに優れた人だと思います。というわけで、リーダーには(平の教授にも)その資質が求められています。すなわち、良い芽をいち早く評価することと、自立した芽を潰さないこと。 それと、若手の側に交渉力がなくても良いというのは、別のことです。