生態学会公開講演会の議論

Date: Fri, 2 Apr 2010 10:14:03 +0900
 メールありがとうございました。3月20日生態学会公開講演会にいらしてくださったとは、気づかずに失礼しました。
 当日、最初に話した矢原さんは「身近の生物の種名を知る」「それを利用する」「子供の頃に体験する」の3つを自然を守る方法として提案しました。登壇者討論で宮下さんが、これら3つは一体のもので、「子供の頃に身近のものを食べる経験があり、食べるものと食べられないものがあるから種名を覚える」と指摘しました。それで、「小さい時に、近所にノイチゴがあれば食べた人」という質問を登壇者と会場にさせていただきました。
 心配されたと言うのは、私が小さい頃に「食べない」子供だったからですか?それでも、練馬区の家の近所には空き地(原っぱ)があり、いつもそこで遊んでいました。減っているから食べない(そんな子供いるかな)のではなく、私の場合は「知らないものは食べない、やらない」という私の子供の頃の習性でしょう。
 私は、マグロを全く食べないというのではなく、少しは食べてもよいと思います。クジラは半世紀前ほどとは言いませんが、今より食べても十分持続可能です。イルカも食べてよいと思います。
 クロマグロは減っているし、大西洋からわざわざ輸入する必要はないかもしれません。しかし、ミンククジラや多くのイルカは絶滅危惧種でも何でもありません。少なくとも太地でクジラやいるかを食べるのは、彼らの自由だと思います。私もいただきます。
 犬を食べるかどうかは、価値観の問題。他の民族が食べるのを非難するのは筋違いだと思います。
 地産地消に外れる消費は推奨されないことがあります。しかし、禁止するほどではありません。環境に悪いことを全くしていない人はいないでしょう。「あまりやりたくないこと」「自分ではしないこと」「他人にもしてほしくないこと」「禁止すべきこと」は別のことです。環境問題の多くは、白か黒かではなく、やりすぎを避ける「ほどほど」の思想が大切です。
 環境団体の議論は、ほとんど中世キリスト教会の免罪符の議論と同じです。環境負荷の大きな先進国の人が、それを棚に上げて途上国も含めた自然保護を説いている。大西洋クロマグロの資源管理に失敗した原因は、日本と言うより欧州にあります。
 報道が肝心の資源量の実態に全く触れていないのは、ご指摘どおり残念ですね。しかし「減少しているので、CITESの基準を当てはめれば(少なくとも附属書IIへの)掲載は科学的に異論がない」という見解はそれなりに紹介されたと思います。
 上記の質問に対しては、登壇者も1:2くらいで経験のない人が私以外にもいました。会場も似たようなものだったと思います。その経験で、現在のそのかたの価値観は必ずしも一致しないでしょう。
 生態系サービスを利用し、その価値を認識するならば、そのような原体験は推奨すべきだと言うのが、当日の議論でした。 自分の幼少がそうではなかったというのは「さびしい」ことですが、だから自分に自然保護を語る資格がないとは思いません。自分の限界の一つを知ったと言うことです。
 一つの質問で、価値観の色分けができるわけではありません。また、価値観は多様です。他人の価値観を尊重することは、生物多様性を尊重する以上に大切なことです。自分がしないことと、人にしてほしくないことは違います。大西洋クロマグロがいっそうの資源管理が必要なことはたしかです。地産地消から外れていることもたしかです。だから全部いきなり辞めさせるべきかどうかといえば、私はそこまでは思いません。しかし、管理できないならば、ワシントン条約で規制すると言う手もあったでしょう。逆に、附属書に載らなかったからと言って、今の漁業でよいわけではありません。