科学者は利害関係者として振舞うべきか

科学者は利害関係者として振舞うべきか」に対する矢原徹一さんの意見を許可を得て転載する。
Date: Thu, 01 Dec 2005 11:35:55 +0900
○○様、皆様
月曜日のセッションに参加できなくて、残念でした。○○さんが提起され、松田さんが答えられた問題については、科学者一般をしばるルールをつくることは困難だし、好ましくもないと思います。
 ただし、自然再生事業指針でも書いたように、科学者が、科学的命題(客観的命題)と価値的命題(主観的命題)を区別し、科学的根拠について述べているのか、それとも自分の価値判断について述べているかを区別することは、とても重要です。現状では、この両者を区別せずに、あたかも科学的判断であるかのように、自分の価値判断を語る科学者は、少なくないと思います。
 次に、「利害」について、定義をはっきりさせる必要を感じました。開発計画に対して賛成・反対の意見がある場合に、開発計画によって経済的な利益を得たり、損失をこうむる者が、通常の意味(狭義)の「利害関係者」です。科学者がこの立場にあれば、中立性を保てません。そのような科学者が、開発計画の是非を議論する場に、科学者の立場で参加することは、好ましくありません。
 開発計画に対して反対の行動をおこしている科学者は、広義の「利害関係者」です。生態学会が要望書を出している案件に関する、学会長や自然保護委員長は、この立場にあります。このような立場の者を、開発計画の是非を議論する場に加えないというのは、かえって合意を難しくすると思います。議論の場への参加をはかったうえで、価値観がからむ議論における発言のルールを整備していくのが、現実的な対応だろうと思います。
 もちろん、開発計画に賛成の科学者がいれば、そのような科学者にも議論への参加を求めるべきです。また、とくに賛否に関心のない中立的な科学者の参加を求めることも有意義でしょう。そのうえで、判断や予測の科学的根拠に関する議論を通じて、価値観にもとづく判断の調整をはかるのが妥当だと思います。
 また、「価値観」という言葉をあまり広い意味で使わないほうがよいように思いました。○○さんは、「『ある学問が価値観を前提として成り立っている』と書かれていますが、たとえば遺伝子組換え作物の利用に関しては、保全生態学者の中に私のような積極派から、消極派、反対派まで、さまざまな意見があります。
 私は、「価値観」とは、私がコメントで紹介したグラフのように、ある対策の実行の程度に対する、幸福度の変化というように量的にとらえるのが良いと思います。それは、質的なものではなく、変わらないものでもありません。また、必ずしも包括的なものではありません。
矢原徹一