Date: Thu, 1 Dec 2005 10:38:17 +0900
私としては【】当然ながら、科学者の権限が強くなることは歓迎ですが、論理的にいかがなものかと思っている次第です。
まず【】『ある学問が価値観を前提として成り立っているということと,「利害関係者たる(=一定の価値観が反映される場で)研究者は意思決定の枠組みに参画すべきか否か」ということの関係を見ると,「保全生態学者は意思決定の枠組みに参加すべきでない」となってしまわないかという疑問があります.』についてですが、
率直に言って私は、もちろん、助言し、生で(つまり議論の成り行きに応じて臨機応変に)見解を述べる立場は確保すべきですが、利害関係者としては参加すべきではないと思っています。その主語は「保全生態学者」でも「生態学者」でもなく、「科学者」です。
ただし、科学者が実際に利害関係者になる場合もありえます。これは(おそらく)弁護士が原告になることがあるのと同じことだと思います。この場合は自分自身の価値観に基づいて主張しているのですから、市民と同じ立場になるべきでしょう。ある科学者の意見が科学委員会を通じて意志決定に反映され,さらに利害関係者としても反映される路を確保しろというのは,私はやりすぎだと思います。
では、科学委員会自体が正式構成員であるべきかどうかといえば,あまり大きな問題ではないと思います。今回の知床では、事前にIUCNが出した注文を科学委員会や地元団体に知らせず,政府(と北海道?)が勝手に答えたことが問題なのであり、本来は科学委員会の答申が意志決定の場に示され,場合によっては公にされ(この道を閉ざされていたことも去年の知床科学委員会の問題点),議論されるのでしょうから、大きな問題ではないと思います。
重要なのは、行政機関だけで意志決定してはいけないということです。これは、行政機関が選んだ科学者が入っていれば地元がいなくても大丈夫ということには、全くならないと私は思います。
価値判断まで自分でしているのではないという立場を科学者が明示したいとすれば,利害関係者として振舞わないほうがよいと私は思います。そうでなければ、科学委員の価値判断と異なる価値判断をもつ人は,科学委員会の答申すべてを信じないかもしれません。
また、【】(環境)経済学者と(保全)生態学者の融合を図るときに,互いの価値観で合意する必要があるかというのはよくわかりません。科学者は結論を先に決めずに、方法論と評価基準を決めてからデータを解析するものです。内心はともかく、必ずそう説明するはずです。そして、実際にデータを見てから客観的に評価しようと努める筈です。だからこそ、科学者同志は冷静に議論できうるのです。ですから、方法論では一致しないと共同研究はできませんが、予想している結論まで合意している必要はありません。それは生態学者同士でも要りません。論文の共著者としては実例が少ないとは思いますが、環境影響評価などの検討会では普通のことだと思います。方法書の段階で合意が必要なのはそのためです。
弁護士の実情をよく知りませんが、おそらく、科学者は弁護士のようなものだと思っています。どの立場からの依頼でも、その科学的根拠を吟味できるし、依頼者の主張を生かすような論理を助言できると思います。実際には、全く自分と相反する価値観の助言者にはほとんどならないかもしれませんが、対立する価値観を代弁する科学者同士での対話は可能であり,この役割はIWCだけでなく、北欧の酸性雨問題で極めて重要な役割を果たしたと聞いています。どんなに正しいと思ったことでも、それを支持する利害関係者が地元に誰もいないような主張はできないと思います。あくまで、利害関係者の価値判断に基づいて科学的な議論をするということに徹したほうが,合意形成に果たす役割が明確になると思います。
会議でも例として出したように、知床に飼育している狼が逃げてしまった。それを捕獲するかどうかをめぐり,ある科学者がもっと議論を尽くすように主張して意志決定が遅れ,狼が半島外に逃げてしまったなどということは実際に起こりえると思います。移出したら捕獲するという事前合意があるようには,現在の知床の議論は見えません。半島内利害関係者に狼再導入論者がどれだけいるかしりませんが、全国の市民にはいます。それを支持する(というか指導する)科学者もいます。彼らが密放流するとは思いませんが、逃げた狼を捕獲することに同意するかどうかはしりません。
逆に、知床岬でシカを捕獲しろという主張を科学者がしても(対策をとるべきという答申は出す予定)、利害関係者の合意をすぐに得るのは難しいと思います。合意無しに進めるわけにも、科学委員会がそれを不満として席を蹴るわけにもいかないでしょう。しかし、放置すれば不可逆的な影響を与える可能性があるという見解は明示すべきだと思っています。