中田英寿の現役引退には反対だ

サッカーの中田英寿(文中敬称略)が現役引退を表明した。今朝の新聞の1面トップ記事になった。この扱いには驚いた。
 なぜそれほど大騒ぎするのか。たしかに、野球で言えば野茂英雄と同じで、海外で活躍する日本人選手の草分けだ。しかし、これまた野茂と同じく、大先輩(奥寺)もいる。ペルージャ時代はさておき、私は中田が欧州で大成功した選手だとは思わない。野茂に匹敵するかもしれないが、大リーグで首位打者になり、歴代記録を塗り替えたイチローとは違う。むしろ、後続の俊輔や小野のほうが活躍したと思う(W杯でも、もっと小野を出して欲しかった)。
 たしかに、中田には強烈な個性がある。試合前の球場で国歌を歌わず、チームのためでなく「自分のため」と明言し、育ててくれたベルマーレ基金を作り、イタリア語で取材に答える態度は、どれもなかなかできないことであり、尊敬に値する。マスコミに距離を置いて自分のウェブサイトで意思表示するのも賛成だ。
 けれども、この引退には賛成できない。どんな事情かよく知らないが、もし大怪我をしているのではないとすれば、29歳で引退するのは若すぎる。最初、日本代表からの引退かと思ったが、選手としての引退表明だった。野球で言えば、江川卓のようである。たしかに、彼はサッカー以外でも才能がある。引退しても、その社会的存在感は大きいだろう。けれども、サッカーを通じて社会に語っていた彼にしかできない才能に比べて、それが大きいとは思わない。それは、収入や社会活動の機会の問題ではない。もし、これで彼がサッカーを通して社会に語ることが尽きたのだとすれば、彼のサッカーはその程度のものだったということになるだろう。
 私は、スポーツというのは、試合中の駆け引き、心理状態や緊張感の維持、それを支えるさまざまな後方支援を通じて、多くのことを視聴者に訴える価値あるものだと思っている。特に、彼に注目する視聴者は多い。それは、彼が自らの実力で築き上げた彼独自の世界である。引退してもその世界を引き継げるともいえるが、やはりそれは、現役時代を知らない人と知る人では受け止め方が違うだろう。人生は長い。彼が体力的に燃え尽きてから引退しても、まだ十分に活躍する時間はある。新庄もその実力に比べて引退が早すぎるとは思うが、彼は今までにも十二分に泥をかぶって活躍している。まだ理解できる。
 三浦カズや中山も、サッカー以外でも活躍できる才能は十分にある。しかし彼らはいまだにサッカーを続けている。それを楽しみに見るファンがいる価値を知っていると思う。
 新聞報道では、中田の引退を批判する声は聞こえない。なぜだろうか。私は反対である。今からでも、考え直して欲しい。
Date: Tue, 4 Jul 2006 08:15:30 +0900
 追加意見としてhttp://nakata.net/を引用させていただきたく、メールを差し上げます。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

 「自分探し」とは、およそ大人の発言ではありません。己を知らなかったとすれば、それが最大の敗因。実力はあったが、実力を出し切れなかったのが残念とは、プロ選手の言い分として、目を疑います。 実力を本番で出し切るのがいかに難しいか、それが勝敗の大きな要因であることは、素人でもわかります。実力を出し切れないことも実力のうちです。 *1

*1:もちろん、中田がいつ引退するかは彼の勝手だ。私の不満の第一は批判もせずに大きく取り上げる新聞報道にある。中田が引退して経済的に失敗するとは思わない。しかし、この引退表明はいただけない。一流のプロ選手が勝負の勘所を語る言葉と評価されたのだとすれば、その中身が稚拙である。他の選手も一流の選手。本番で実力を出すすべを知らないことに気づいていないはずがない。