ダーウィンの悪夢

Date: Sat, 20 Jan 2007 11:31:54 +0900
 「ダーウィンの悪夢」、観たことはないが、検索してみると、青山貞一氏の批評がありました。この映画をべたほめですね。しかし、【私の周囲では】かなり異論がありました。この映画は、アフリカの人自体は見たくないだろう、きわめて悪意あるステレオタイプであるという意見だったと思います(不正確なら訂正ください)。
 国際感覚というと、欧米に通用するかがすぐ問われます。もちろんそれも大切ですが、世界の中の(問題とする地域の)当事者と話せるかどうかが大切ではないでしょうか?欧米が、常に地域を意識しているとは全く限りません。
 そもそも、ダーウィンの悪夢というタイトルは、ダーウィニストが歓迎するとは思いません。「ダーウィン自然淘汰、弱肉強食、生存競争など自然界における生き物の進化を説明した。通常、進化は進歩であり良いことと理解される。だが、現実社会では「進化」は多くの場合、他の者(敵)を圧倒し、排除して勝ち残こることを意味している。」という上記批評者の説明は論外としても、この映画ではどのように「ダーウィン」を理解し、使っているのでしょうか?

Date: Sun, 21 Jan 2007 09:58:31 +0900
 地元在住の根本利通さんの骨太の批評紹介もありがとうございました。批評は映画を見てからすべきですが、地元の人の感想を聞きながら映画を作ることはしないのでしょうか。
 今のところ、タンザニアの大統領がこの映画を批判し、地元では(官製の?)抗議デモが起きているということですが、そのことは映画を見る人には伝わらない。せめて、そのような反応があったことは、批評する側も伝えたほうがよいのでしょう。他山の石とします。
 途上国の地獄を見ることで、先進国人は自分たちの恵まれた状況に安心し、地獄に住むかわいそうな人に同情するだけで、対等な人間として学びあおうとしないという構図は、ほかの環境問題にもいえます(環境運動では、啓発という言葉が皆大好きですね)。自分から遠く離れた世界の鯨を守ることが環境運動だと思っている。
 政治には単純な二項対立、勧善懲悪的構図は必要でしょうが、二項対立を避けよ、というのは科学者の戒めです。常に、頭を冷やして考える勢力が必要でしょう。