倫理規定

Date: Fri, 18 Aug 2006 15:19:18 +0900
生態学会会長のブログに【以下のように】あるとおり、 学会として倫理規定のマニュアルを作るとしても、これは究極には個人で律する問題だという見識は重要だと思います。

そもそも、学会員個人の行動規範について、学会がそれを規定することについてはひょっとすると異論があるかもしれない。規範の最強のものは、国の定めた法律であるから、会員がそれに触れた場合は、学会として何らかの対応をすることになるのだろうか。ごく当たり前の議論のように思えるが、数十年前には当たり前ではなかった。

 我々は学問の自由を当たり前のように考えている。しかし、米本昌平「バイオポリティクス」によれば、それは実は冷戦時代の西側陣営の科学者の一時的待遇にすぎない。スプートニクショック以後、米国はソ連に最も軍事的に重要なミサイル部門で技術的に立ち遅れていることを白日の下に晒され、基礎研究を重視した。科学者に自由にやらせることで東側に対する正統性を得ようとした。米本によれば、「(米国在住の)科学者は冷戦の最大の受益者」であった。
 冷戦終結後、この構図は変化している。米国でも、科学者の国益へのあからさまな活用が公言されるようになっている。当然、日本を含めたほかの国も同様だ。
 我々生態学者も、今は「二項対立を避けよ」と積極的に主張する時代である。国益に繋がりえることを否定するような風潮は、今の学会にはない。しかし、自由な立場から、基礎研究を重視することが、科学の発展に重要であることは、学会としてはっきり主張すべきであろう。【産学連携を否とする風潮もないが、かといって国益に資する研究を目指す必要もない。それこそが「学問の自由」であろう。】同時に、その「自由」が当たり前のように保障されると考えることも、見当はずれなのかもしれない。