野生鳥獣の「安楽」殺処分とは

Date: Thu, 28 Jan 2010 08:13:04 +0900
安楽死という言葉は、微妙に使い分けられているようです。
 「特定外来生物被害防止基本方針」では“捕獲個体をやむを得ず殺処分しなければならい場合には、できる限り苦痛を与えない適切な方法で行うものとする。”とは書いてありますが、「安楽死」という言葉は使われていません。
 最も近い用語は「安楽殺処分」ですが、獣医師会の指針(外来種だけですから、家畜の屠殺の実態は彼らの指針に外れていると思います)に同意するとは決めていないので、上記でよいでしょう。「可能な限り」は便利な行政用語ですね。これはいかにも日本的。西洋の法令にもある表現ですかね。
 実際に多用されているCO2による毒殺処分は、注射より苦痛がないとはいえないので、安楽死処分とはいえません。銃殺は、意識喪失状態にした後で殺してはいないので(適切な銃殺ならば苦痛を伴わないために推奨する野生動物管理学者も多いと思います。私も含めて)、下記の定義には該当しないでしょう。というわけで、我々ができる限り「安楽死に近い方法」と主張するのも考え物です。外来生物法の基本指針どおりの表現でよいでしょう。
 それにしてもHumane killingの訳が安楽殺処分か。どこに安楽があるのか。
(以下資料)
 安楽死は主に医学で(人間向けに)使用されている言葉のようです。?古代ギリシャから様々に定義されてきたが、ベーコン(Francis Bacon1561-1626)によれば、楽な(easy)、痛みのない(painless)、幸福な(happy)死である。現代的意味においては、苦痛に悩んでいる患者が自発的に望む死を指す。(近藤均[ほか]編「生命倫理事典」)
 もちろん、動物が自発的に死を望んではいないので、この定義は論外。
 動物の安楽死に該当する指針と定義は以下のとおり。
?総理府告示「動物の殺処分に関する指針」
“動物の殺処分は科学的または、物理的方法により、できる限り殺処分動物に苦痛を与えない方法を用いて当該動物を意識の喪失状態にし、心機能または肺機能を非可逆的に停止させる方法によるほか、社会的に容認されている通常の方法によること。”
?日本獣医師会「動物の殺処分に関する指針の解説」
“処分動物を穏やかに扱い、原則として動物を意識の喪失下で致死させる処置を施すべきである。動物を意識の喪失状態にする為にも、麻酔注射以上の苦痛を動物に与えない注意が必要である。この一連の行為を「安楽死措置」という。”
?日本獣医師会平成19年7月報告書「外来生物に対する対策の考え方」“可能な限り動物に苦痛を与えない人道的な方法を選択すべきである。本報告書ではこうした考え方に基づく殺処分を「安楽殺処分(humane killing)」と記す。”

Date: Wed, 27 Jan 2010 18:24:45 +0900
 苦痛の定義ありがとうございました。「出来る限り」ということで、全部まとめていますね。学会誌の投稿規定もそれが多いですね。無用な苦痛をさけると言うことでしょう。 それが即 安楽死が必要とはなりません。
 注射だって、苦痛はありますね。程度の問題でしょう。
 酸欠による苦痛ではないということはわかりました(「酸欠」は使うべきではない。酸素がないのではなく、CO2が毒なのです)。 気持ち悪くなるんですね。CO2が安楽死に含むかどうかは専門家が決めることで、以下の見解なのでしょう。
 【アライグマの安楽死は問題にするが、シカの射殺は問題にしないというのは】結局は自分が守りたいもの、守れるものを守ると言うことです。根絶すべきアライグマは安楽死が必要で、個体数調整するシカは不要というのは、理屈が合いません。私としては、安楽死の定義に含まれないだろう銃殺の方が苦痛は少ないと思います。
Date: Thu, 28 Jan 2010 07:23:45 +0900
 より苦痛が少ない方法を実行可能な範囲でやるというのは、生態学者も異論はないはずです。 その方法として、銃殺が【】認められないというのは、たぶん、大半の生態学者は理解できないでしょう。
 いずれにしても、見ている人間の目から見て残虐と感じるかどうか、というのは、愛護団体も主観的には定義に入れていないのですね。社会的に容認というのが気にかかりますが。彼らが論じないのであれば、本当は無視してもよいでしょう。
 銃殺が安楽死かどうかは、獣医師会の定義では当てはまらない(意識を失うのと死ぬのが同時)。
 安楽死は中国や仏教思想にもあった概念でしょうかね?