今年の漢字は絆

12月8日の講演などで、私はそう予想していた。私自身が今年「絆」を使ったのは、たとえば下記のような場合でした。
Date: Thu, 14 Apr 2011 04:45:42 +0900
 【低線量被曝を憂う若手理系研究者へ】
私が生まれた頃の日本人の水銀摂取量は、胎児50人に一人が水銀中毒になる計算です。水俣病のデータを入れての計算だが、摂取量が低いところがどこまで正確に出ているのか。
 【放射線リスクについて】極端な意見との「幾何平均」をとること自体に意味はないでしょう。要はそれを信じるかどうかです(批判する側は、特に数字を計算で出してはいないと思うが)。
 今の事態がいつ収拾がつくのか、全く情けない事態であることは同感です。再び水素爆発や、さらに燃料プール【】が進めば、放出量自体は半年後に「チェルノブイリ」を超える可能性だってありそうです。しかし、その場合でもチェルノブイリのように広範囲の汚染にはつながらないと説明されていると思います。
 いずれにしても、戦後最大の大事故が起きているときに、普段の安全が保障されないのは当たり前のこと。それで日本の社会のを壊してよいのか、あるいは自分だけが安全でよいのかということです。当然ながら、放射線リスクは累積被曝量が問題。長期的に不安な量でも、短期間でもだめというわけではない。もちろん、リスクはゼロではない。しかし、子供の死亡率はそもそも高いのです。わずかの差でも、標本数が多ければ統計的には有意になります。誰もいわないが、おそらく、避難所生活のQoL【Quality of life】の損失は、【低線量被曝の】原発リスクよりもずっと大きいのではないですか?生活環境を変えて、より安住の地があるならもちろんそれはそれでよいですが。それを言い出したら、そもそも、何もなくてもそこに移住するほうが子供のためだったでしょう。
 子供を育てていれば、自分のために子供に危険や不自由をかけていることは、既に何度も経験されていると思います。もちろん、程度問題ですが。たとえば、子供を自転車に乗せるのはとても危ないと私は感じました(あまりしませんでしたが)。
 【】子供のために最善のことをするということと、子供に一切リスクをしょわせないことは別だと思います。