ますますわからぬ61万株1円事件

上記のメールに対して、ある人より以下のような返事をいただいた。感謝。

証券取引市場は多種多様の株式が刻々と売買されており、一つの取引の結果が、ほかの取引判断に影響し、その取引がまた別の取引判断に影響を及ぼします。いわゆる生き馬の目を抜く世界です。したがって、ある注文が、いかにありえない間違いであったとしても、あとから「なかったことにする」を認めてしまえば、市場参加者は何を信用すればよいのか、ということになってしまう。つまり、ほかの取引にも多大の影響が及んでしまっているため、後からやり直すことを認めるわけにはいかない。
逆に言えば、証券市場は市場システム(市場管理者)への信頼を元に成り立っているので、いかにおかしな注文であっても、市場参加者はシステムを信用して取引を続けるしかない、ということのようです。したがって、買った人に「なかったことにせよ」とまでは言えず、「余分のお金を払うから、売るといった株は渡せないけど、目をつぶってくれ」という措置を「受け入れてもらう」ことになるようです。
もっとも正しい対応策は、市場管理者たる東証が当該株の取引をただちに停止すべきだったということになります。東証の責任が問われるゆえんであります。
株式市場は「ミスったら、一瞬で殺されてもしかたがない」世界のようです。資本主義・競争原理は、根底にものすごい冷酷さと非寛容さを秘めています。

 このような影響の波及効果があるのは、証券取引所だけではない。上記の説明は、全く説得力がない。「生き馬の目を抜く世界」だから、間違いを認めて契約を無しにするという社会常識が通用しないといっているに過ぎない。
 「信用」取引という言葉が、本来の意味に戻れば、このようなシステムの過ちは、人間の誠意によって簡単に補償されるはずである。それをおかしいといわないマスコミは、やはりおかしいと、私は思う。私は計算機システムが間違いを起こさないとは思っていない。起こすのはある程度当然である。世の中には取り返しのつかない過ちも多々ある。しかし、上記は、扱う人間に常識と誠意があれば、ほとんど取り返しのつく過ちである。買った人が返却すればそれで済む話ではないか。価格を一桁間違えたなら、明らかな間違えとはいえないかもしれない。しかし、1株64万円と64万株1円の間違いは、明らかな間違いではないか。少なくとも、返却する人が一人もいないというのは、かなり異常な世界である。そう思わないマスコミというのは、やはり、かなり異常だと私は思う。
 たしかに、株式市場というのは、生き馬の目を抜く、良心のかけらもない社会なのかもしれない。しかし、マスコミというのは、人の良心に訴えるのが役目ではないだろうか。