アイスランド=自然破壊の跡

 NYからアイスランドは知人がいない旅だ。Island Airの6月の映画は、往路は英語でForest Gump、古い映画だが、これは見てよかった。帰りの映画はFailure to launchという娯楽もの。これはつまらなかった。酒は有料だし、帰りは食事が1回きりだ。
 レイキャビクバスセンターまでのバスは1100Kr(=2400円)。これは高くない。しかし、バスセンターからはタクシーに乗れと案内にある。変なシステムだが、タクシー会社との協定だろうか。後でわかったが、歩いても25分で市中心部にいける。私の宿(Hallgrim's教会のそば)なら15分だ。私の荷物くらいなら歩いていけた。
 早朝着いたバス中継基地から、宿に行かずに10時発のGolden Circles行き1日観光に参加。バスセンターから乗れるReykjavik Excursionという業者で、行った場所はHveregeroi温室村Kreid火口湖Gullfoss滝Stokkur間欠泉,Thingvellir国立公園(世界遺産)で8時間の行程だ。thは特別な文字でThingは世界最古の近代議会の意味らしい。地元の教授はIceland Excursionという業者のを紹介してくれたが、なるほど案内を読むとそちらのほうが割高だが密度が濃さそうだ。しかし、説明は前者がうまいだろう。英語と仏語で学問用語まで流暢に説明していた。観光旅行も、市内からここまで拾う小型バスがあり、皆バスセンターから出発。道理でたくさんいると思った。
 人気ツアーでバスが満席。その中に日本人が私のほか少なくとも6人いた。2組はそれぞれボストンとチェコからの観光客。母娘と夫婦での旅。日本人のいなそうなところを選んできたが、やはりいたかと言っていた。私の隣席はデンマーク人の観光客だった。アイスランド語スカンジナビア語系ではなく、フェロー諸島と西ノルウェー語に近く、バイキングの言葉らしい。観光ガイドが説明していたが、昔はこの原野も森で肉食の狐がいた。そこへ人間が草食獣の羊や馬などの家畜を持ち込み、森林伐採してから樺林は国土の25%からわずか1%になったのだと言う。つまり、面積10万km2(日本の1/4強)に対して、これほど人口密度が低い(800年前にバイキングが入植して以来、人口は長らく5万人、最近ようやく25万人)にもかかわらず、この自然は人間が変えてしまったのだ。人口密度あたりの自然破壊という指標を作ったら、たぶん世界一だろう。アメリカ西部も相当なものだが、米国の人口はもっと多いはずだ。私たち日本人は、先祖に感謝すべきかもしれない。
 18日にアイスランド国立博物館に行く。博物館によれば、アイスランドには先史時代に人類はいない。800年ころに諾威(バイキング)と英国(ケルト人)が入植した。5つの有力な入植地ができた。後にキリスト教になり、その後ルター派が貿易を独占した。その後独占が解け、レイキャビクが貿易拠点になったと言う。人口が1000年から1800年ころまで増えていないが、18世紀に2度の疫病と大噴火によって人口が減ったと言う。今のレイキャビクは近郊含め20万人である。 ホウェールウォッチングについては6.22付け公開書簡。
 最終日はホテルを9時半に拾ってもらい、空港途中のBlue Lagoon温泉に行く。11時に着き、14時過ぎのバスで空港に向かうまでのうち、2時間半は温泉につかっていた。おかげで、米国入国時に指がかさかさで指紋がとれずに往生した。温泉に行ったせいだと入管に行ったら納得された。これは温泉を超えた温泉プールである。裸でなく、水着を借りる(350Kr)。タオルは持参していたので十分。受付でIC付の腕輪を渡され、男女別の脱衣所にはロッカーがあり、閉めてICを感知器に触れると施錠される仕組みだ。このICに自分が使ったロッカー番号が記録される。温泉に入ると実に広い。1周水中歩行で約20分。ただし底がところどころでこぼこなので注意。温度も景色もさまざまに変わり、4周歩いた。奥のほうでは人もまばらでゆったり自分の世界に浸れる。バタフライで泳ぐ人もいるし、濃厚な恋人同士も何組かいる。奥のほうは足元がslimyで、救ってみると灰色(砂混じり)の泥だった。ぐらぐら煮立つ泉もある。その傍は熱い。さらに歩くと白い泥が箱の中に入れてあり、皆顔や肩につけている。そこにサウナも滝もある。滝に打たれて肩や背中をほぐした。サウナは二つあるが、一つは温泉のお湯で暖めていて、ぜんぜん熱くない。他方は日本と同じコークスだが、日本ほど熱くない(110度くらい)。出ると両側から霧のような水をかけるシャワーがあり、これで肌を引き締める。黒人も2組ほどいた。5人家族に初めてかと聞くと二度目だという。Virginiaから来たという。そういえば、街中でもほとんど黒人を見かけない。すっかり堪能していると、CoML幹部らに出くわし、君も来ていたのかと呼び止められた。一人は帰りの飛行機も一緒だった。