自然との共生という表現について

Date: Wed, 30 May 2007 09:26:57 +0900

生物多様性国家戦略での環境省の・・・【共生と共存の使い方です.】毎日のようにこの言葉を印刷物でみます.皆様はどのようにお考えなのでしょうか.

 この議論は何度も出ているものです。私は、(上記の文脈で共生と言う言葉を使うべきではないという)意見に全面的に賛成です。外国人に誤解されないようにCoexistenceと訳しているとすれば、それに対応する日本語が共生ではなく、共存であることは明らかです。
 外国人だけでなく、日本人にも配慮すべきです。日本人はこの表現を誤解しないというのは全く根拠がありません。【】むしろ、共生という言葉が正しいと確信するなら、はっきりとSymbiosisなりMutualismと訳すべきでしょう。少なくとも日本語と英語が対応していないとは言えるはずです。下手をすれば、外交問題になりかねません。(その意識すらないという日本政府の環境外交姿勢そのものが問題なのですが)
 そもそも、生態学会の委員会でも、人間が手を加えていることで自然を利していることもあると公言されていました。私も著者である生態学会生態系管理専門委員会「自然再生事業指針」でも「人と自然の関係を共生と呼ぶことには異論もあるが,互いに相手を排除することなく,価値観や伝統や利害の異なる者同士が協議会を通じて共生関係を維持することこそ,人と自然の持続的な関係を実現する上で必要な前提と言ってもよい.」という表現で落ち着いています。「互いに・・・」の後の共生関係は利害関係者同志の関係のようにも読めますが、要するに、両論併記ながら人と自然の関係における共生という言葉を受け入れているということです。
 国家戦略で、日本以外の国で、アンダーユースを(3つの)脅威の一つに挙げている国をご存知の方は教えて下さい。これは、利用した後で半端に放棄することを戒める言葉ですが、手付かずよりも自然を何らかの意味で利しているという価値判断ではないはずです。
 私は、アンダーユースも問題だということにはそれほど反対ではありません。知床世界遺産核心地域でさえ(そこも原生自然とはいえませんが)、シカの大発生による植生への影響に対して、人為介入すべきだと意見しています。しかし、それが自然との共生だと表現されるのは、かなり危険だと思っています。人間は全体として、自然に負荷をかけているはずで、その負荷をより少なくための介入でなくてはなりません。共生という表現は、アンダーユース対策に対する誤った認識を与えかねないと危惧しています。
 私はむしろ、目指すべきものを「人間の地球環境への持続可能な寄生」と表現します。これは私の講義を聞いていたある学生の提案でしたが、共生よりはずっと明解な表現だと思っています。