■生物多様性をそれほどまで重要視する理由は何なのでしょうか?
☆私(たち)は、より直接的に、「人と自然の持続可能な関係の指標」として生物多様性を挙げています。歴史遺産がたくさん残る国は、それだけ歴史を大切にする。在来種の生物多様性も歴史的価値があります。鷲谷・矢原「保全生態学入門」にも似たような記述があります。
要するに、その時代時代の判断を絶対視せず、歴史的遺産を潰さないことが大切です。ガンダーラの石仏を壊すのは、その時代の権力の判断でした。それに反対するのと同じく、先祖代々残ってきた在来生物の多様性をなるべく次代に遺そうという考えです。もちろん、その意味では、生物の多様性だけでなく、価値観の多様性も重要です。余り極端な価値判断をしないということも重要でしょう。
「それほどまでに」重要視といわれますが、私は「それほどまで」とは思っていません。人間生活のほうが重要です。自由な経済行為のうち、持続不可能なものは制限しようというだけの話です。シロナガスクジラは絶滅しかけたのですから、回復するまでの間、自由な経済活動で獲ってよいとは思いません。しかし、絶滅リスクが逼迫していないミンククジラまで獲るなとは、私は言いません。マグロを一切食べるなともいいません。
それは、いろいろな意見があるでしょう。欧米世論には、途上国を制限するための新たな外交手段という側面があるとも言われています(米本昌平「地球環境問題とは何か」岩波新書)逆に、日本ももっと環境を外交交渉の手段とすべきだという意見もあります。私もそれに賛成です。少なくとも、日本が何を輸入するか、国内でどう自然と付き合うかは、自ら決めてよいでしょう。そこに外国に説明できる公正な基準があればよい。BSEの全頭検査は不要だと私は思いますが、それが国内で合意されて実施しているのに、米国産だけ検査不要というのは、筋違いだと思います。