岩井雪乃著『ぼくの村がゾウに襲われるわけ。』(合同出版)

Date: Fri, 7 Jul 2017 19:15:54 +0900
「先住民の大地」を奪う「自然保護」とは 岩井雪乃著『ぼくの村がゾウに襲われるわけ。』(合同出版
 野生動物保護の本は多々あるが、野生動物とアフリカ先住民の共存を語る本は極めて少ない。題名が端的に物語るように、ゾウを保護するだけでは問題は解決しない、そのことがよくわかる本だ。私も象牙の禁輸への疑問を述べた際に獣害を引き起こすと書いたが、(朝日新聞WEBRONZA2016.10.17)主題はゾウの存続可能性だった。ゾウやライオンを持続可能に利用しながら保護区を運営するのも、禁猟にして先進国から寄付金を募って保護するのも選択肢のうちと私は述べた。先住民のことをここまで思い描いてはいなかった
 本書は児童書のように読みやすい。写真やイラストも豊富だ。小学校高学年でも読めると思う。本書全体を通じて、ゾウを禁猟にして保護するだけでは、先住民にとって問題が解決しないどころか、彼らの生活と生命すらも圧迫していることがよくわかる。著者自身が、大学院生時代にアフリカに入った時には動物保護のために入ったと言っている(P3)。著者が他の野生動物学者と違うのは、先住民に乱獲を止めさせるために地元自然保護官も驚く「密猟者の村」に行き、野生動物の保護活動でなく先住民を調査したことだろう(P38)。
 それでも、遠くの先進国で野生動物の禁猟のために活動し続ける人がいる。彼らの中でも、ゾウのほうが先住民より大切だと言い切る人はごく少数だろう。では、著者自身が現地を見て変わっていったように、本書を読めば彼らは考えを変えるだろうか。そういう人も多いと思うが、そうでない人も少なからずいるように思う。そうでなければ彼らもとっくに考えを変えているはずだ。本書を読みながら、なぜ変わらないのか、ずっと考えさせられた。
 日本でダムを造るために強制移住させられた集落があれば、彼らの多くはダムに反対し、集落に共感するだろう。中国では自然保護区を作るための移住もあると聞く。そして、タンザニアでも最初は禁猟だけだったが、やがて移住を迫られた(P88)。もともとゾウを狩猟対象としていなかったイコマ族も例外ではない(P29)。セレンゲティは「野生の王国」にする前は「人間(先住民)の大地」だった(P46)。
 いわゆる情報バイアスがある。まず、本書のような先住民の強制移住を知らない人が多いだろう。逆に、この本を読んでも、別の真実が書かれていないと思い、額面通りに受け取らない人もいるだろう。たとえば、禁猟になった後も先住民は密猟を続けていたのではないか、それを書いていないのではないかと途中(P18)では私も思った。それは後で説明されている(P82)。先住民は密猟者の片棒を担いでいるのではないかと疑うが、それも書いている(P78)。真犯人ではないという言い方には異論があるかもしれないが、大事なことは巨悪(P80)を断つことである。先進国からの支援が動物保護に向けられ、先住民に向かわなければ解決にならないことは、多くの読者が納得すると私は思う。最近ではそのことを理解するWWFトラフィック(P130)やシェラクラブ(P98)のような先進国の自然保護団体もある。自然保護の在り方そのものが変わりつつある(P104)。国を援助しても、実際にゾウに向き合う先住民の支援にはつながらない(P121)。これはイスラム教徒などの難民の支援も同じで、しばしば報道されている。アムネスティは保護区で取り締まりにあったアフリカ先住民への人権侵害(P77)も問題にしている(P130)。
 先進国で環境問題に悩み、手つかずの自然の保護や動物愛護をせっかく見つけた自分の正義のよりどころとしている人々には、本書の主題はすぐに受け入れられないかもしれない。彼らにとっては、自分の正義であるゾウの保護のほうが、獣害に迷惑がる先住民よりも大切かもしれないし、アメリカ先住民の白人への「同化」政策(P93)が悪いこととは、すぐにはピンとこないかもしれない。しかし、本書はより人間らしい正義の取り組みを説いている。本書を読めば、多くの読者が自然保護の考え方を変えると私は期待する。
 私はケニアタンザニアは禁猟一辺倒、ジンバブエ南アフリカは持続的利用と単純に思っていたが、タンザニアには自然保護区のほかにワイルドライフマネジメントエリアもあること、それがうまく機能していないことを初めて知った(P107)。タンザニアでも国立公園のある北部ではゾウは保護されて増え、猟銃保護区の密猟で減っているというから(P74)、南アフリカとの比較でなくここだけ見れば、禁猟が有効と思う人もいるかもしれない。住民主体の保護(Community-based conservation)(P106)は私が取り組む漁業管理にも通じる。「人間と生物圏(MAB)」計画に代表されるユネスコの理念は、ウルトラマンのように外国から保護団体が来て自然を守ることでなく、自然を守る地元の人を育てることだと、私は常々述べている。
 本書は野生動物管理を学ぶ者にも興味深い情報満載だ。国立公園と猟銃保護区の違い(P35)、狩猟しなくなったことで動物が人間を恐れなくなり、獣害が増したこと(P55)、ケニアでは電気柵が壊されるようになり、タンザニアでは電気のないワイヤーだけでゾウから農地を守っているが、やがて通用しなくなるだろうと述べている(P121)。密猟は国立公園より猟銃保護区が容易ともいう(P66、P79)。国立公園の入園料は自国民は破格に安いがそれでもほとんどいけないという(P32)。
 ただし、先住民の狩猟が乱獲に陥ったとされる例もあるはずだ。また、私は象牙も持続可能にならば利用してよいとまだ思っている。先住民にも現金収入は必要で、先進国が象牙を高値で買うならば、それも「生態系サービス」の経済価値に加えるだろう。しかし、タンザニア象牙の持続的利用の成功を望む状態ではなさそうだ(P72)。やはり、象牙の利用は南アフリカなどから再開するほうが賢明だろう。