生態学者と公衆衛生学者の死生観の違い

以下のような想定問答を考えてみました。生態学者の多数意見を聞いたわけではありません。あしからず。

松田>私は、若い健康者でも0.3%の死亡率がある死生観を受け入れざるを得ない社会になるかもしれないと思います。それを覚悟すれば、かなり日常に近い経済活動ができるということでしょう。いつでもではなく、そういう事態が100年に数回起きる(ただし、次のPandemicではもっと死亡率が高いかもしれない。)。意外と、多くの生態学者は気にしない死生観を持っているかもしれません(そこが、公衆衛生学者との違いか)。問題は、1年以上の対策をとることの社会的ダメージとの比較です。そちらもかなりの犠牲がでるでしょう(福島原発事故の低線量被曝では、ごく近隣を覗いて避難するほうがリスクが高かったと言えますが、今回はComparativeではないか)。

公衆衛生学者X>国際保健では,若い健康な人でも0.3%の死亡率がある死生観をもつ社会は珍しくないので,数あるリスクの一つと考えることはわかります。ただし、途上国で人工呼吸器や酸素吸入の設備もほとんどなければCOVID-19に罹ったら健康な若者でも1%くらい亡くなるかもしれません。それでもコレラ結核という,彼らにとって身近な病気に罹ったときに亡くなる可能性と大差ないので,それほど重大なリスクと思わないかもしれません。しかし,高所得国の医師や公衆衛生の専門家の多くにとっては,たぶん絶対に受け入れたくないレベルです。

先進国でも、集団免疫策をとっている国があります。今すぐには変わらなくても、コロナ禍後に、死生観が変わるかもしれません。